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先生を囲る話
せんせいをめぐるはなし
作品ID57460
著者中谷 宇吉郎
文字遣い新字新仮名
底本 「中谷宇吉郎集 第一巻」 岩波書店
2000(平成12)年10月5日
初出一~四「寺田寅彦全集 第六巻 寅彦研究第三号」岩波書店、1936(昭和11)年11月27日<br>五~九「寺田寅彦全集 第九巻 寅彦研究第四号」岩波書店、1937(昭和12)年1月1日<br>一〇~一六「寺田寅彦全集 第十一巻 寅彦研究第五号」岩波書店、1937(昭和12)年2月7日<br>一七~二一「寺田寅彦全集 第二巻 寅彦研究第六号」岩波書店、1937(昭和12)年3月1日<br>二二~二五「寺田寅彦全集 第八巻 寅彦研究第七号」岩波書店、1937(昭和12)年4月1日<br>二六~三一「寺田寅彦全集 第十四巻 寅彦研究第八号」岩波書店、1937(昭和12)年5月13日<br>三二~三七「寺田寅彦全集 第三巻 寅彦研究第九号」岩波書店、1937(昭和12)年6月5日
入力者kompass
校正者岡村和彦
公開 / 更新2019-11-28 / 2019-10-28
長さの目安約 66 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 この話は大正十二年の暮から昭和三年の春までの四年あまりにわたって、私が先生の下で学生または助手として働いている間に、実験室や御宅の応接間で折にふれて先生から聞いた話を思出すごとに書き留めておいたものを整理したものである。書きかけて見ると何だか少し自分の事もかなり這入りそうで少し面はゆい所もあるが、一方考えてみるとこのような弟子の一人としてみたところの主観も少し混っている話が沢山集ったならば、かえって先生の全貌をみようとする人に良いデータを供給することになるかも知れない。
 丁度この時代は先生が胃潰瘍の大患から恢復されて、再び大学へ顔を出し始められて間もない頃から始まり、次で理研入りとなって、さらに地震研究所の専任教授になられ、物理学者として多忙なそして多彩な生活に復帰された時代であり、文芸的にも『冬彦集』や『藪柑子集』の出版があって、先生の随筆に対する態度が決定的に明かにされた時代である。以下断片的に輯録した先生の話の中には、後に随筆として書かれたものもかなりあるが、著しい重複にならざる限り一応書き残しておくことにした。先生が応接間で若い連中を前にして語られていた言葉と、それが後に完全な形となって随筆の中に書かれたものとの比較もまた一部の読者には興味があることと思われるからである。

一 その頃の応接間

 その頃の応接間は現在の姿と別に変った所はなかったので、その内部の様子などを詳しく書くのは少し御迷惑なことかも知れないが、これから後の話には、その話が醸し出される雰囲気の説明がかなり重要な要件になると思われるので、押して簡単な叙景をすることとする。まず壁には色々いわれのある油絵が三枚ばかり掛っていて、その外に先生御自身の描かれた小さい絵が時々取り換えられて一枚ないし二枚位掛けられてあった。片隅にはピアノが置いてあって、その上には随分使い汚された楽譜が一杯に積み重ねられていた。今一方の隅には随筆に書かれた蓄音機が置かれてあり、その前には楽譜台とバイオリンのケースとが乱雑に立っていた。外には印度更紗の壁飾りと、壺が一つ室の装飾品として置かれてあった。
 部屋の真中には掛心地良い細身の肱掛椅子が卓を挟んであり、その一方に先生が、その頃はよくジャケツ風なコートを着込んで煙草を吹かしておられたものであった。夜など少し早めに伺うと、夕食の後らしくバイオリンを弾いておられた。しげしげ伺うようになってからは先生も大分気安く、バイオリンを弾きながらちょっと頤でしゃくって椅子に腰を下すように命ぜられて、真面目臭った顔付でバイオリンを続けられていたようなこともあった。そして一節の終りまで行くと「ヤア失敬、失敬」といいながらバイオリンを無造作に置いて、椅子によりながら卓の上の敷島を一本抜いてニヤリとされるのが常であった。
 卓の上にはよく画の本が二冊位載せてあった。いつか画の話…

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