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道鏡
どうきょう |
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作品ID | 57482 |
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著者 | 坂口 安吾 Ⓦ |
文字遣い | 新字新仮名 |
底本 |
「桜の森の満開の下」 講談社文芸文庫、講談社 1989(平成元)年4月10日 |
初出 | 「改造 第二八巻第一号」1947(昭和22)年1月1日 |
入力者 | 日根敏晶 |
校正者 | 村並秀昭 |
公開 / 更新 | 2020-10-20 / 2020-09-28 |
長さの目安 | 約 46 ページ(500字/頁で計算) |
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日本史に女性時代ともいうべき一時期があった。この物語は、その特別な時代の性格から説きだすことが必要である。
女性時代といえば読者は主に平安朝を想像されるに相違ない。紫式部、清少納言、和泉式部などがその絢爛たる才気によって一世を風靡したあの時期だ。
けれども、これは特に女性時代というものではない。なぜなら、彼女等の叡智や才気も、要するに男に愛せられるためのものであり、男に対して女の、本来差異のある感覚や叡智がその本来の姿に於て発揮せられたというだけのことだ。
つまり愛慾の世界に於て、女性的心情が歪められるところなく語られ、歌われ、行われ、今日あるが如き歪められた風習が女性に対して加えられていなかったというだけのことだ。とはいえ、今日に於ては、歪められているのは男とても同断であり、要するに男女の心情の本性が風習によって歪められている。
平安朝に於てはそれが歪められていなかった。男女の心情の交換や、愛憎が自由であり、愛慾がその本能から情操へ高められて遊ばれ、生活されていた。かかる愛慾の高まりに、女性の叡智や繊細な感覚が男性の趣味や感覚以上に働いたというだけのことで、古今を問わず、洋の東西を問わず、武力なき平和時代の様相は概ね此の如きものであり、強者、保護者としての男性の立場や作法まで女性の感覚や叡智によって要求せられるに至る。要求せられることが強者たる男性の特権でもあるのであって、要求する女性に支配的権力があるわけではない。いわば、男女各[#挿絵]その処を得て、自由な心情を述べ歌い得た時代であり、歪められるところなく、人間の本然の姿がもとめられ、開発せられ、生活せられていただけのことなのである。特に女性時代ということはできない。
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皇室というものが実際に日本全土の支配者としてその実権を掌握するに至ったのは、大化改新に於てであった。
蘇我氏あるを知って天皇あるを知らずと云い、蘇我氏は住居を宮城、墓をミササギと称し、飛鳥なる帰化人の集団に支持せられて、その富も天皇家にまさるとも劣るものではなかった。畿内に於けるこの対立ほど明確ではなかったにしても、地方に於ける豪族は各[#挿絵]土地を私有して、独立した支配者として割拠しており、天皇家の日本支配は必ずしも甘受せられていなかった。
大化改新は、先ず蘇我一族を亡すことから始められたが、その主たる目的は、天皇家の日本支配の確立、君臣の分の確立ということだ。口分田とか租庸調の制度は、土地私有の厳禁、つまり天皇家の日本支配の結果であって、目的ではない。
蘇我氏を支持する帰化人の集団は飛鳥の人口の大半を占め、当時の文化の全て、手工業の技術と富力をもち、その勢力は強大であった。真向からこれを亡す手段がないので、天智天皇は皇居を近江に移してこの勢力の自然の消滅を狙ったが、この勢力の援助なしには新都…