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陰獣
いんじゅう
作品ID57503
著者江戸川 乱歩
文字遣い新字新仮名
底本 「江戸川乱歩全集 第3巻 陰獣」 光文社文庫、光文社
2005(平成17)年11月20日
初出「新青年」博文館、1928(昭和3)年8月増刊~10月
入力者金城学院大学 電子書籍制作
校正者まつもこ
公開 / 更新2021-10-21 / 2021-09-27
長さの目安約 135 ページ(500字/頁で計算)

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本文より



 私は時々思うことがある。探偵小説家というものには二種類あって、一つの方は犯罪者型とでも云うか、犯罪ばかりに興味を持ち、仮令推理的な探偵小説を書くにしても、犯人の残虐な心理を思うさま書かないでは満足しない様な作家であるし、もう一つの方は探偵型とでも云うか、ごく健全で、理智的な探偵の径路にのみ興味を持ち、犯罪者の心理などには一向頓着しない様な作家であると。そして、私がこれから書こうとする探偵作家大江春泥は前者に属し、私自身は恐らく後者に属するのだ。随って私は、犯罪を取扱う商売にも拘らず、ただ探偵の科学的な推理が面白いので、聊かも悪人ではない。いや恐らく私程道徳的に敏感な人間は少いと云ってもいいだろう。そのお人好しで善人な私が、偶然にもこの事件に関係したというのが、抑も事の間違いであった。若し私が道徳的にもう少し鈍感であったならば、私にいくらかでも悪人の素質があったならば、私はこうまで後悔しなくても済んだであろう。こんな恐ろしい疑惑の淵に沈まなくても済んだであろう。いや、それどころか、私はひょっとしたら、今頃は美しい女房と身に余る財産に恵まれて、ホクホクもので暮していたかも知れないのだ。
 事件が終ってから、大分月日がたったので、ある恐ろしい疑惑は未だに解けないけれど、私は生々しい現実を遠ざかって、いくらか回顧的になっている。それでこんな記録めいたものも書いて見る気になったのだが、そして、これを小説にしたら、仲々面白い小説になるだろうと思うのだが、併し私は終りまで書くことは書いたとしても、直ちに発表する勇気はない。何故と云って、この記録の重要な部分を為す所の小山田氏変死事件は、まだまだ世人の記憶に残っているのだから、どんなに変名を用い、潤色を加えて見た所で、誰も単なる空想小説とは受取ってくれないだろう。随って、広い世間にはこの小説によって迷惑を受ける人もないとは限らないし、又私自身それが分っては恥しくもあり不快でもある。というよりは、本当を云うと私は恐ろしいのだ。事件そのものが、白昼の夢の様に、正体の掴めぬ、変に不気味な事柄であったばかりでなく、それについて私の描いた妄想が、自分でも不快を感じる様な恐ろしいものであったからだ。私は今でも、それを考えると、青空が夕立雲で一杯になって、耳の底でドロンドロンと太鼓の音みたいなものが鳴り出す。そんな風に眼の前が暗くなり、この世が変なものに思われて来るのだ。
 そんな訳で、私はこの記録を今直ぐ発表する気はないけれど、いつかは一度、これを基にして私の専門の探偵小説を書いて見たいと思っている。これは謂わばそのノートに過ぎないのだ。やや詳しい心覚えに過ぎないのだ。私は、だから、これを正月のところ丈けで、あとは余白になっている古い日記帳へ、丁度長々しい日記でもつける気持で、書きつけて行くのである。
 私は事件の記述に先だって…

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