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作品ID57514
著者江戸川 乱歩
文字遣い新字新仮名
底本 「江戸川乱歩全集 第3巻 陰獣」 光文社文庫、光文社
2005(平成17)年11月20日
初出「新小説」春陽堂、1926(大正15)年6月
入力者金城学院大学 電子書籍制作
校正者門田裕志
公開 / 更新2017-10-28 / 2017-09-24
長さの目安約 23 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 私が、私の勤めていたある工場の老守衛(といっても、まだ五十歳には間のある男なのですが、何となく老人みたいな感じがするのです)栗原さんと心安くなって間もなく、恐らくこれは栗原さんの取って置きの話の種で、彼は誰にでも、そうした打開け話をしても差支のない間柄になると、待兼ねた様に、それを持出すのでありましょうが、私もある晩のこと、守衛室のストーブを囲んで、その栗原さんの妙な経験談を聞かされたのです。
 栗原さんは話上手な上に、なかなか小説家でもあるらしく、この小噺めいた経験談にも、どうやら作為の跡が見えぬではありませんが、それならそれとして、やっぱり捨て難い味があり、そうした種類の打開け話としては、私は未だに忘れることの出来ないものの一つなのです。栗原さんの話しっぷりを真似て、次にそれを書いて見ることに致しましょうか。

 いやはや、落しばなしみたいなお話なんですよ。でも、先にそれを云って了っちゃ御慰みが薄い。まあ当り前の、エー、お惚気のつもりで聞いて下さいよ。
 私が四十の声を聞いて間もなく、四五年あとのことなんです。いつもお話する通り、私はこれで相当の教育は受けながら、妙に物事に飽きっぽいたちだものですから、何かの職業に就いても、大抵一年とはもたない。次から次と商売替えをして、到頭こんなものに落ちぶれて了った訳なんですが、その時もやっぱり、一つの職業を止して、次の職業をめっける間の、つまり失業時代だったのですね。御承知のこの年になって子供はなし、ヒステリーの家内と狭い家に差し向いじゃやりきれませんや。私はよく浅草公園へ出掛けて、所在のない時間をつぶしたものです。
 いますね、あすこには。公園といっても六区の見世物小屋の方でなく、池から南の林になった、共同ベンチの沢山並んでいる方ですよ。あの風雨にさらされて、ペンキがはげ、白っぽくなったベンチに、又は捨て石や木の株などに、丁度それらにふさわしく、浮世の雨風に責めさいなまれて、気の抜けた様な連中が、すき間もなく、こう、思案に暮れたという恰好で腰をかけていますね。自分もその一人として、あの光景を見ていますと、あなた方にはお分りにならないでしょうが、まあ何とも云えない、物悲しい気持になるものですよ。
 ある日のこと、私はそれらのベンチの一つに腰をおろして、いつもの通りぼんやり物思いに耽っていました。丁度春なんです。桜はもう過ぎていましたが、池を越して向うの活動小屋の方は、大変な人出で、ドーッという物音、楽隊、それに交っておもちゃの風船玉の笛の音だとか、アイスクリーム屋の呼び声だとかが、甲高く響いて来るのです。それに引きかえて、私達の居る林の中は、まるで別世界の様に静で、恐らく活動を見るお金さえ持合せていない、みすぼらしい風体の人々が、飢えた様な物憂い目を見合せ、いつまでもいつまでも、じっと一つ所に腰をおろしている。こ…

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