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いしが奢る
いしがおごる |
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作品ID | 57539 |
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著者 | 山本 周五郎 Ⓦ |
文字遣い | 新字新仮名 |
底本 |
「山本周五郎全集第二十四巻 よじょう・わたくしです物語」 新潮社 1983(昭和58)年9月25日 |
初出 | 「サンデー毎日臨時増刊仲秋特別号」毎日新聞出版、1952(昭和27)年10月19日 |
入力者 | 特定非営利活動法人はるかぜ |
校正者 | 北川松生 |
公開 / 更新 | 2021-11-05 / 2021-10-27 |
長さの目安 | 約 46 ページ(500字/頁で計算) |
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一
六月中旬のある日、まだ降り惜しんでいる梅雨のなかを、本信保馬が江戸から到着した。
保馬は江戸邸の次席家老の子で、その名は国許でもかなりまえから知られていた。俊才で美男で、学問も群を抜いているし、柳生道場では三傑の一という、誂えたような評判であった。こんど来た目的がなんであるかは公表されなかった。じつは勘定吟味役だという説もあり、嫁えらびだという噂もあった。勘定吟味役だというのは限られた一部の説であったが、慥かな筋から出た情報のように云われた。そのためであろう、保馬が亀岡の宿所にはいると、旅装を解くよりも早く、いろいろな客が挨拶に来た。多くは藩の用達をはじめ商人たちであったが、各役所からの使者も少なくなかった。――勘定吟味役は(いうまでもないだろうが)現今の会計監査官に当り、それよりもさらに広範囲の権限をもっていた。またそのときは藩の財政が極度にゆき詰って、政策の大きな転換が予想されていたから、挨拶に来る人たちの「挨拶」の内容も単純ではなく、それぞれがなんらかの意味を含むものであった。保馬はかれらには会わなかった。保馬の供をして来た仲田千之助と堀勘兵衛とが応待に出た。そのうちに外島又兵衛という客が来ると、保馬はちょっと考えてから、客間へとおすように命じた。又兵衛は四年まえまで江戸邸にいた、中老佐藤市兵衛の三男であったが、こちらの年寄役、外島伊左衛門と婿養子の縁組ができて、以来ずっとこの宮津にいるのであった。――年は保馬と同じ二十六歳になる。躯は小柄で、色が浅黒く、頬骨が尖っていた。話しぶりも表情も才ばしって、なめらかで、少しも隙がないという感じだった。
保馬が入ってゆくと、又兵衛はにこにことあいそよく笑い、軽く目礼をして、ひどく親しそうに話しかけた。
「どうもしばらく、道中御無事でおめでとう」
保馬は頷いて坐った。又兵衛の狎れ狎れしさを承認するようでもなく、また拒むふうでもなかった。
「その後どうですか」保馬は巧みな無関心さで云った、「もう子供さんがあるのでしょう」
「それがまだ独身でしてね」又兵衛はすぐに答えた、「外島の娘が死んだんですよ、私が来て半年ばかり経ってからですが、それでいちどは江戸へ帰ろうと思ったんですがね、外島がどうしても放さないし、なにしろこっちは暢気なもんだから、それに、……じつを云うと見当をつけた娘もいたりするんでね」
保馬はほうと云ったきりで、自分の右の手をうち返し眺めた。彼は評判ほどではないが、色の白い、ととのった、品のいい顔だちで、眉と眼のあいだがかなりひろくあいていた。眉ははっきりと濃く尻上りであったが、眼はやさしく尻下りであった。ときどき唇をむすんで上へ歪める癖があり、そうすると調和がこわれて、親しみのある顔になるが、すましているときは、あまりととのい過ぎていて、ちょっと近よりにくい感じを与えた。いま又兵衛には保…