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おごそかな渇き
おごそかなかわき
作品ID57541
著者山本 周五郎
文字遣い新字新仮名
底本 「山本周五郎全集第十六巻 さぶ・おごそかな渇き」 新潮社
1981(昭和56)年12月25日
初出「朝日新聞日曜版」 1967(昭和42)年1月8日~2月26日
入力者特定非営利活動法人はるかぜ
校正者北川松生
公開 / 更新2022-02-14 / 2022-01-28
長さの目安約 74 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

祝宴


「あのおたねの岩屋の泉は」と村長の島田幾造がいった、「千年か、もっとまえかに、弘法大師が錫杖でもって岩を突いて、水よ湧けといったそうだ、三度も錫杖を突いていったそうだが、水は一滴も湧き出なかった、――そのころこの村は水不足で、両方の村と水争いの絶え間がなかったそうだ、死人もずいぶん出たらしい、そこへ道元禅師が来て、数珠をひと揉みしたら、それだけで水が噴きだしたということだ」
 十月七日、この島田村長の屋敷では、男子出生の祝宴が催されていた。宗教の盛んな土地で、真宗の家系と禅宗の家系とは、歴史的に根深い反目と敵意とが続いていた。島田家は代々永平寺の信者であるが、他の多くの家は真言宗、一向宗の信徒が圧倒的で、冠婚葬祭には特に、相互の往来や交渉はなく、村長である島田家の祝宴にも、参会者は同じ宗旨の十二、三人しか列席していなかった。――何百年となく続いた屋敷で、太く反った棟柱が、天床のない屋根裏にがっしり据っているし、ひと抱えもありそうな大黒柱や、食器箪笥や、広い板の間など、年代を磨きこんだ人のちからとで、チョコレート色に光ってみえた。
「村長は口がうめえさ」客の中の竹中啓吉が土地訛りの強い言葉で云った、「だがな、――このうちは隠れキリシタンなんだ、永平寺は世間をごまかすためさ、本当は何百年もまえからキリシタンだったのさ」
「まさか」と相手は声をひそめて云った、「隠れキリシタンなんて、よくは知らねえが、九州かどっかの話じゃあねえのかい」
「日本全国だ」と竹中はめし茶碗で濁酒を飲み、味噌漬の山牛蒡をぼりぼり噛みながら云った、「秋田だか青森のどっかだかには、キリストの墓まであるってことだからな、こんなところに隠れキリシタンがいたってふしぎはねえさ」
 ここは福井県大野郡山品村というところで、山ひとつ南へ越すと岐阜県になる。山品村は涸沢をはさんだ谷合の村であり、日の出がおそく日没が早い。涸沢の左右にある細長い田畑のほか、両方の山腹に段々畑と棚田があって、南側にある岩屋の泉は冷たいため、棚田へは涸沢の僅かな水を、汲みあげるよりほかはなかった。
 ひとくちに云えば貧困農村で、副産物の木炭、涸沢にのぼって来る季節の川魚の焼干し、屋根を葺くための茅葭、そして僅かな繭などで生活を支えてきた。けれども電化製品のために木炭はさっぱり、屋根もスレート葺き、化繊の発達で繭も思わしくなくなるというわけで、村はいま莫大な借金を背負っていた。
「あの岩屋の泉は」とまだ村長は云っていた、「いま京都大学で分析してもらっているが、優秀なミネラル・ウオーターだということに間違えはねえらしい、まだはっきり証拠の出るとこまではいっていねえらしいが、これが本当にミネラル・ウオーターだとすると、道元禅師には先見の明があったのだし、おらたちの村もこれで立直れるだ」
 村民ぜんぶが、ふところ手をして食って…

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