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赤ひげ診療譚
あかひげしんりょうたん
作品ID57542
副題07 おくめ殺し
07 おくめごろし
著者山本 周五郎
文字遣い新字新仮名
底本 「山本周五郎全集第十一巻 赤ひげ診療譚・五瓣の椿」 新潮社
1981(昭和56)年10月25日
初出「オール読物」1958(昭和33)年11月
入力者特定非営利活動法人はるかぜ
校正者北川松生
公開 / 更新2018-12-17 / 2018-11-24
長さの目安約 48 ページ(500字/頁で計算)

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本文より



 十二月にはいってまもない或る日の午後八時過ぎ、――新出去定は保本登と話しながら、伝通院のゆるい坂道を、養生所のほうへと歩いていた。竹造が去定の先に立って、提灯で足もとを照らしながらゆき、薬籠は登が負っていた。一人の使用人に二つの仕事を同時にさせてはならない、と去定はつねに云っている。医員たちはべつであるが、下男下女、庭番などにはこの内規が固く守られていて、これまでにも登が薬籠を背負うことは珍らしくなかったし、去定その人も例外ではなかった。
 ――疲れているんだな。
 去定の話を聞きながら、登は心の中でそっと首を振った。去定は疲れてくると怒りっぽくなる。その日はことに病人が多く、十五カ所も診察に廻ったあとで、帰りがいつもより一刻ちかくもおくれ、疲労と空腹のためにいっそう苛立っていたらしい。「かよい療治の停止」について、役人たちの無道さを激しく非難した。
 養生所の経費削減と、かよい療治の停止令が出たのは夏のことであった。そのとき去定はずいぶん抗議をしたが、結局どうにもならず、去定がその費用を負担するという条件で、かよい療治を黙認することになった。そのため去定は、従来よりも多く、大名諸侯や富豪、大商人などの依頼に応じ、その収入で削減された経費や、かよって来る病人の投薬をまかなって来たのであるが、数日まえまた養生所付きの与力から呼ばれて、「かよい療治は一切ならぬ」ということ、同時に、入所している病人でも、身内に多少でも稼ぐ者がある場合には「食費を取る」ように、ということを云われたのであった。
「富者の万燈より貧者の一燈ということがある」と歩きながら去定が続けた、「これは貧者の信心こそ仏の意志にかなうという意味らしいが、じつはまったくのたばかりだ」
 万燈を献ずる富者には限りがあるし、いつも万燈を献ずるものではない。だが、一燈しか献ずることのできない貧者は多数であって、しかも、一燈くらいの寄進ならいつでも応ずるだろう。「仏への供養」は来世へのつながりであり、安楽往生のみちだという。この世で貧苦にいためつけられ、一生うだつのあがらない人たちは、せめて安楽往生、来世での成仏ということに頼りたくなる。その弱身をつかんで、一燈をたばかり取るわる賢さは、政治にそのまま通じているようだ。
「幕府の経済が年貢運上によって成り立つことはいうまでもない」と去定は云っていた、「しかし、それを支えているものはつねに、もっとも多数の小商人や小百姓や職人たちだ、その例をここで並べる必要はないだろうし、その是非については一概に云えない面もある、それにしても、かれらが日雇い人足の僅かな賃銭にまで運上を課することや、施療を受けているような病人から食費を取る、などという無道さにはがまんがならぬ」
 去定はどしんどしんと、ちから足を踏んで歩いた。
「むろん、おれがここでどう頑張ったところで、役…

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