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雨の山吹
あめのやまぶき
作品ID57545
著者山本 周五郎
文字遣い新字新仮名
底本 「山本周五郎全集第二十四巻 よじょう・わたくしです物語」 新潮社
1983(昭和58)年9月25日
初出「講談倶楽部」大日本雄辯會講談社、1952(昭和27)年9月号
入力者特定非営利活動法人はるかぜ
校正者北川松生
公開 / 更新2021-12-30 / 2021-11-27
長さの目安約 34 ページ(500字/頁で計算)

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本文より



 母の病間をみまってから兄の部屋へゆくと、兄も寝床の上で医者と話していた。医者はすぐに帰り、兄は横になった。
「どうなさいました」
「ちょっと胃のぐあいが悪いんだ」兵庫は眉をしかめた、「――四五日よく眠れなかったところへ、いやな事が起こって、ゆうべちょっと酒をすごしたのがいけなかったらしい、明け方に血のようなものを吐いた」
 もとから痩せていたほうだが、そう云われて見ると頬がこけ、眼がくぼんで、血色もひどく悪い。唇が乾くとみえて、頻りに舐めるが、その舌の色も悪かった。
「貴方が酒をすごすとは珍しいじゃありませんか、いったいなにがあったんです」
 兵庫は枕の下から封書を出して、黙って弟に渡した。ひらいてある手紙で、宛名は兵庫、裏には汝生という妹の名が書いてあった。
「汝生がどうかしたんですか」
「読んでごらん」
 又三郎はひらいてみた。かなり長いものであり、まったく意外な文面であった。彼はそれを二度読み返した。
 こんどの縁談でいろいろ心配をかけたが、自分はどうしても嫁にはゆけない、西牧という人に不満があるのではなく、自分の身にとつぐことのできないわけがあるのである。五歳のとき孤児になり、葛西家にひきとられてから、御両親にも兄さまたちにも、しんじつ肉親のように可愛がられて来た。その御恩と義理を思えば耐え難いが、縁談はもう断われなくなったし、とつぐわけにもゆかず、身の処置に窮したので、死ぬ決心をした。御病床の母上や兄上さまたちはさぞお怒りであろう、西牧という方にも相済まないが、ほかに思案がなかった、愚かなやつだと思ってゆるして頂きたい。一日も早く母上が御恢復なさるよう、また御一家の幸福と御繁昌を祈っている。――つまり遺書であった。
「いつのことですか、これは」
 又三郎は兄を見た。それから封書の裏に、小松町柊屋と書いてあるのを読んだ。
「ここに小松町とありますが」
「文代が来る、聞かれては困るんだ」
 兵庫が云った。又三郎は手紙を巻いた。あによめの文代が、茶を持ってはいって来た。嫁して五年になるが、こんど初めて妊娠し、帯の祝いをしたばかりである。健康そうに肥えて、膚も艶やかに色づき、眼にはおちつきと満足感があふれているようにみえた。……彼女はあいそよく三浦のようすを訊き、さも済まなそうに云った。
「御用も多いでしょうに、とんだ事をお願いして申し訳ございません」
「これから頼むところだ」兵庫が遮った、「――いま手紙をみせたばかりなんだ、ここはいいから向うへいっておいで」
 茶を注ぎ、菓子鉢をすすめて、文代は去った。又三郎は兄の話すのを待った。
「八日まえに、紅梅会の者五人と粟津へいったんだ」兵庫は云った、「――もうまもなく祝言だし、西牧へゆけば当分は出られないだろう、母上もぜひやってやれと仰しゃるので、出してやったんだ」
 城下の寺町に、小舘梅園という女史の…

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