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笠折半九郎
かさおりはんくろう
作品ID57557
著者山本 周五郎
文字遣い新字新仮名
底本 「山本周五郎全集第十九巻 蕭々十三年・水戸梅譜」 新潮社
1983(昭和58)年10月25日
初出「講談倶楽部」大日本雄辯會講談社 、1941(昭和16)年3月号
入力者特定非営利活動法人はるかぜ
校正者北川松生
公開 / 更新2024-09-10 / 2024-09-04
長さの目安約 27 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

失火





 喧嘩は理窟ではない、多くはその時のはずみである、理窟のあるものならどうにか納りもつくが、無条理にはじまるものは手がつけられない、笠折半九郎と畔田小次郎との喧嘩がその例であった。
 二人は紀伊家の同じ中小姓で、半九郎は西丸角櫓の番之頭を兼任し、食禄は三百石、小次郎は二百五十石を取っていた。……年齢は半九郎の方が二歳年長の二十七であるが、気質からいうと小次郎の方が兄格で、烈しい性格の半九郎とはちょうど火と水といった対照であった。
 半九郎も小次郎も早くから主君頼宣の側近に仕えて二人とも別々の意味で深く愛されていた。半九郎はその生一本な直情径行を、小次郎は沈着な理性に強い性格を、そして二人はまた互いに無二の友として相許していた。
 そのときの喧嘩がどういう順序で始ったかよく分らない。城中の休息所で座談をしているうち、話がふと半九郎の縁談に及んだ。……彼はそのとき同藩大番組で八百石を取る天方仁右衛門の娘瑞枝と婚約が定まっていた。瑞枝は才女という評判が高く、特に十三絃に堪能でしばしば御前で弾奏したことがある、話は自然とその琴曲のことになった。小次郎は半九郎が武骨者で、芸事などには振向いても見ないのを知っていたし、瑞枝の琴の話が出ると、明かに不快そうな顔つきになるのを認めたから、ちょっと意地悪な気持になって、
 ――笠折もこれから瑞枝どのの琴を聞いて、心を練る修業をするんだな、音楽というものは人の心を深く曠くするものだ。
 というような意味のことを云った。
 それがいけなかった、ごく親しい気持から出た言葉ではあるが、時のはずみで半九郎は真正面から喰い下った、おんなわらべの芸事などで心を練り直さなければならぬほど武道未熟だというのか、そう開き直ったのがきっかけで暫く押し問答をしていたが、ついに半九郎は面色を変えて叫びだした。
 ――このままでは己の面目が立たぬ、それほどの未熟者かどうか試してみよう、明朝卯の刻に城外鼠ヶ島で待っているから来い。来なかったら家へ押掛けるぞと云って、半九郎は下城してしまった。
 屋敷へ帰った彼は、仲裁役でも来ると面倒だと思って、後事の始末を書面にして遺し、そのまま城下から南へ三十町あまり離れた、砂村の農夫弥五兵衛の家に立退いた。……弥五兵衛はもと笠折家の下僕であったが、数年まえに暇を取り、今では妻子五人で農を営んでいた。
 半九郎は自分の怒り方が度を越しているのを知っていた。時間の経つに順ってその感じがはっきりして来た、どう考えても果合いをするほどの問題ではない。
 ――いけなかった、やり過ごした。
 そう思った。けれどまた直ぐそのあとから、新しい忿がこみあげて来た。小次郎の言葉には親しい者だけに共通する意地悪さがあった、己が云うなら許されるだろうという、狎れた意地悪さが隠されていた。
 ――どれほど親しい間柄でも、云って宜…

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