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作品ID | 57570 |
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著者 | 山本 周五郎 Ⓦ |
文字遣い | 新字新仮名 |
底本 |
「山本周五郎全集第十九巻 蕭々十三年・水戸梅譜」 新潮社 1983(昭和58)年10月25日 |
初出 | 「少女の友」実業之日本社、1942(昭和17)年7月号 |
入力者 | 特定非営利活動法人はるかぜ |
校正者 | 北川松生 |
公開 / 更新 | 2025-03-12 / 2025-03-08 |
長さの目安 | 約 21 ページ(500字/頁で計算) |
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一
はやり病をやんで、母の亡くなったのは、正之助が七歳のとしの夏の末だった。母はすぐれて美しいひとだったが、漆のようにつやつやとした黒髪と、ながいまつげに包まれた大きな眼とに特徴があった。ことにその眼は、またたきをすると云いようのない美しい艶があらわれ、いっそう顔がやさしくみえるので、正之助はたびたび「母さま、又またたきをしてみせて――」とねだったものである、母はいつも微笑しながら、云われるとおりしずかにぱちぱちとまたたきをしてみせて下すった。
母が亡くなってから間もなく、父はおかみのお申しつけで江戸へ去った。それまで父はおくなんど係の取締りをしていたが、殿さまのおぼしめしでお側御用という重い役目にとりたてられ、江戸のお屋敷でお勤めをすることになったのである、「あちらへ行って落着いたら正之助も呼んであげるから――」そう云って父は、家来たちをつれて、秋のなかごろに江戸へおたちになった。
父が去ると、にわかに家のなかが淋しくなった。広い屋敷の南は武家町につづいていたけれど、北がわとうしろは久松山の叢林で、夜更けなどには狐の啼くかなしげな声が聞えたりした。家族はお祖父さまと、秋代という叔母さまと、それから正之助の三人になっていた。家来たちも多くは父の供をして去ったので、弥兵衛という老家扶のほかに侍が二人、下男とはしためとで五人、それでぜんぶだった。それにお祖父さまは隠居をなすっていたので、たずねて来る客もすくなくいつも人ごえの絶えなかった賑やかな屋敷のなかは、嵐のあとのようにひっそりしてしまい、いままで気づかなかったお祖父さまの咳のこえまでが、いくつもの部屋を越してはっきりと聞えるくらいだった。
母の百ヶ日の忌があけた日、叔母さまは正之助を仏間へつれていって坐った。
「正之助さん、きょうでお母さまの忌もあけました、明日からまたあなたは学問や武芸のお稽古にお通いなさるのです。わたくしは、亡くなったお母さまから、あなたのことをよく頼まれました、きょうから叔母さまを母と思って下さい。お父さまもお留守ですし、お祖父さまはおからだがお弱いのですから、しっかり勉強なさらないと、世間の人に笑われて、お父さまや亡くなったお母さまの恥になります、ようございますか」
叔母さまは仏壇の前でこう仰しゃった。叔母さまはそのとき二十歳だった。まる顔で、からだつきのふっくりと匂やかな、声の美しいひとだった。「秋代さまの声を聞いていると春が来たようで――」とよくみんなが云っていた。正之助がいたずらをして叱られると、いつもすぐに来てお詫びをして下すったし、「武士の子にはふさわしくない――」と云う父にないしょで、いろいろな玩具を買って下すったこともある。どんなにあまえても、決してすげなくされることのない、やさしい叔母さまだった。けれども、そのとき仏壇の前にきちんと坐った叔母さまは、まるで…