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お美津簪
おみつかんざし |
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作品ID | 57572 |
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著者 | 山本 周五郎 Ⓦ |
文字遣い | 新字新仮名 |
底本 |
「山本周五郎全集第十八巻 須磨寺附近・城中の霜」 新潮社 1983(昭和58)年6月25日 |
初出 | 「キング増刊号」大日本雄辯會講談社、1937(昭和12)年8月 |
入力者 | 特定非営利活動法人はるかぜ |
校正者 | noriko saito |
公開 / 更新 | 2021-09-04 / 2021-08-28 |
長さの目安 | 約 27 ページ(500字/頁で計算) |
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一
「音をさせちゃ駄目、そおっと来るのよ」
「――大丈夫です」
「そら! 駄目じゃないの」
正吉の重みで梯子段が軋むと、お美津は悪戯らしく上眼で睨んだ。――十六の乙女の眸子は、そのとき妖しい光を帯びていた。
土蔵の二階は暗かった、番札を貼った長持や唐櫃や、小道具を入れる用箪笥などが、南の片明りを受けて並んでいる。お美津は北側の隅へ正吉を伴れて行って、溜塗の大葛籠の蔭を覗きこんだ。
「ああまだいるわ」
「いったい何なんですか」
「御覧なさい。あれ」
指さされた所を覗いて見ると、葛籠の蔭のところにひと塊りの繿縷切れがつくねられてあり、その真中の窪みに、小さな薄紅い動物の仔が四五匹、ひくひくと蠢いていた。
「――鼠の仔ですね」
「そうよ、可愛いでしょ」
「気味が悪いな」
「嘘よ可愛いわ。ほうら――こっちの端にいるひとりだけ眼が明いてるでしょ」
「見えない」
「もっとこっちへ寄って御覧なさい」
お美津は正吉の腕を執って引き寄せた、二人の体がぴったりと触れ合った。――土蔵の中は塵の落ちる音も聞こえそうに静かだった、梅雨明けの湿った空気は、物の古りてゆく甘酸い匂いに染みている。正吉は腕を伝わって感じるお美津の温みに、痺れるような胸のときめきを覚えながら、こくりと唾をのんだ。
「――幾匹いるかしら」
「五匹よ」
「みんな未だ裸だな」
「……生れたばかりですもの、もう少しすれば毛が生えてよ、――きっと」
お美津の声は哀れなほど顫えていた。触れ合っている肌はじっとりと汗ばんで、小さな胸が喘ぐような息遣いに波打っている、――面白いものを見せるからと云って、正吉をここへ誘って来たお美津の本当の気持が、その荒い息遣いの中で精いっぱいに叫んでいるのだ。
正吉はじっとしているのに耐えられなくなって、いきなり手を差出した。
「こいつ、捨てなくちゃ」
「駄目よ」
お美津は慌ててその手頸を掴んだ。
「可哀相じゃないの」
「だって、――蔵の中にこんな……」
「いけない、いけない」
二人は眼を見交わした、二人とも真青な顔をしていた。正吉の手頸を掴んだお美津の手がわなわなと戦いていた。然しその眸子は、急に大胆に輝き、朱くしめった唇は物言いたげに痙攣った。正吉は手を振放そうとした、お美津はそうさせまいとした、おどおどしたぎごちない争いが起った、お美津がよろめいたので正吉が支えた、そのとたんに二人は、何方からともなく互いの体を抱き合った。
「――いや! いけない」
火のようなお美津の息吹と、
「お美津さん」
という暴々しい正吉の喘ぎとが縺れた。紫色の眼の眩むような雲が、二人を取巻いてくるくると渦を巻いた。
「正さん、――正さん、……」
絶え入りそうなお美津の叫びが、正吉の耳許へ近寄って来た。正吉はお美津のしなやかな温い体を狂おしく抱き緊めた。――そしてその手触りが、段々とはっき…