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落葉の隣り
おちばのとなり
作品ID57575
著者山本 周五郎
文字遣い新字新仮名
底本 「山本周五郎全集第二十八巻 ちいさこべ・落葉の隣り」 新潮社
1982(昭和57)年10月25日
初出「小説新潮」1959(昭和34)年10月
入力者特定非営利活動法人はるかぜ
校正者栗田美恵子
公開 / 更新2021-08-25 / 2021-07-27
長さの目安約 59 ページ(500字/頁で計算)

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本文より



 おひさは繁次を想っていた。それは初めからわかっていたことだ。ただ繁次が小心で、おひさの口からそう云われるまで、胸の奥ではおひさを想いこがれながら、おひさは参吉を恋しているものと信じ、そのために心を磨り減らしているのであった。
「なんでもないよ、繁ちゃん」と参吉が云った、「大丈夫だ、心配しなくってもいいよ」
 これが繁次と参吉と、そしておひさをむすびつけるきっかけになったのだ。
 繁次と参吉はおないどしであった。浅草黒船町の裏の同じ長屋で生れ、その長屋で育った。おひさはかれらより五つとし下で、やはり同じ長屋の、繁次の家と向う前に住んでいた。――三人は小さいじぶんお互いを知らなかった。長屋には子供が多いし、三人はめだつような子ではなかったからだ。そのうえ、繁次は七つのときに総持寺の末寺へ小僧にやられ、五年のあいだその長屋にいなかった。父の源次は古金買いをしていたが、繁次を坊主にするつもりだったらしい。こんな世の中では正直者は一生うだつがあがらない、どんな貧乏寺でも一寺の住職となれば、人にも尊敬されるし食うにも困らないから、というようなことを、まだ七歳にしかならない繁次に云い聞かせた。
 繁次が十二の年に父が死んだ。あとには躯の弱い母と八つになる妹のおゆりが残され、くらしに困るので彼は長屋へ帰った。寺の小僧になって五年、繁次は読み書きや礼儀作法は覚えたが、坊主になる気にはどうしてもなれず、機会があったら逃げだしてやろうとさえ考えていたので、家へ帰るときまったときには、父の死んだことを悲しむよりも、うれしさのあまりとびあがりたいように思った。
 こうして繁次が長屋へ帰った年、参吉は反対に、田原町二丁目の仏具師の店へ奉公にはいった。ちょうど繁次と入れ違いのようなかたちだったが、そのあいだ半年ばかりいっしょに遊んだ。五年ぶりの再会であったが、特に親しかったわけではないから、初めは同じ長屋の顔見知りというくらいのつきあいで、そこにもしおひさがいなかったら、二人は友達にさえならなかったかもしれなかった。
 おひさは妹の友達としてすぐ彼に馴染んだ。妹のおゆりより一つとし下の七つで、躯つきも顔だちも貧相な、玉蜀黍の毛のような赤毛のしょぼしょぼと生えた頭の、まったく見ばえのしない子だったが、「繁ちゃんのあんちゃん」と云って、一日じゅう彼に付きまとった。
 五月はじめの或る午後、――御蔵の渡しと呼ばれる渡し場の近くで、繁次はおひさに蟹を捕ってやっていた。隅田川の石垣にしがみついて、石の隙間にいる蟹を捕るのだが、五つ六つ捕ったとき、近所の子供たちが五人ばかりやって来て、「坊主、坊主、――」とからかいだした。寺から帰ってまだ十日ほどにしかならず、彼の頭はまだ坊主だった。自分でもそれが恥ずかしいので、長屋の子供たちを避けていたくらいだから、繁次はふるえるほどはらが立った。かれらの…

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