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落ち梅記
おちばいき
著者山本 周五郎
文字遣い新字新仮名
底本 「山本周五郎全集第二十二巻 契りきぬ・落ち梅記」 新潮社
1983(昭和58)年4月25日
初出「講談倶楽部」大日本雄弁会講談社、1949(昭和24)年7月
入力者特定非営利活動法人はるかぜ
校正者北川松生
公開 / 更新2020-08-21 / 2020-07-27
長さの目安約 63 ページ(500字/頁で計算)
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本文より



「すまない、そんなつもりじゃあなかったんだ、酔ってさえいなければよかったんだが、どうにもしようがない、本当にすまないと思ってるんだ」
 半三郎はこう云って頭を垂れた。不健康な生活をそのまま表明するような蒼ざめた艶のない顔である、しまりなくたるんだ唇、ぶしょう髭の伸びている尖った顎、焦点のきまらない濁った眼、すべてがいやらしいくらい汚れた感じであった。――金之助は静かなまなざしで友のようすを眺めた。彼の濃い眉毛やひき緊った唇や、高頬の線のはっきりした顔だちは、いずれかというと凌烈な印象を与えるほうなのだが、いま友を見る眼つき表情はなごやかに温たかい色を湛えていた。
「もう少し時日があれば都合のつくあてはあるんだが、相手がどうしても待たないんだ、じかに家へ取りにゆくと云うんで、なにしろあのてあいは本当にやりかねないもんだから」
「どのくらい要るのかね」
「五枚もあればさし当りなんとかなるんだ」
「さし当りでなくきれいに片をつけるにはどの位要るんだ」
「きれいにといって」半三郎は眼をあげたがすぐに俯向いた、「――それは十枚くらいあるとなんだけれど、しかしそれは、相手も細工をした賽などを使っているんだから」
 金之助は友の言葉を聞きながして立った。手文庫の中をみたが到底それだけはない、母に頼むつもりで、廊下へ出てその部屋へゆくと、客があるとみえて話しごえがしていた。彼はちょっと考えたが、炉の間へはいって、小間使のむらを母のところへやった。母親はすぐに来たけれども、金の額を聞くと眉をひそめてこちらを見た。
「そんなにたくさんでどうなさるの、あなた母さんがお金の蔵でも持ってると思っていらっしゃるんじゃないの」
「この分はお返し致します、急に入用なもんでいちじ立替えて頂くだけですから」
「返してお呉れでなくってもいいけれど、そんなにたくさんなんでお入用なの、月々の定りの物もあげたばかりでしょう」
「どうしても要るんです、お願いします」
 母親はきつい眼で睨んだが、唇には微笑がうかんでいた。黙って居間へゆき、ひき返して来ると、紙に包んだ物を渡しながら云った。
「佐竹の由利江さんが来ておいでなのよ、あなたになにかお頼みがあると仰しゃっているのだけれど」
「公郷がもう帰るでしょうから」
「公郷さん、お客は公郷さんだったの」母親は身を離すようにして息子を眺め、初めてわかったというふうに頷いた、「――そう、それでなのね、……いいえいいの、ではお帰りになったら知らせて下さい」
 金之助は部屋へ戻り、手文庫の中から出した物を加えて、包み直すと、それを友の前へ押しやってから、顔には穏やかな色を湛えたまま、少しばかり屹とした口ぶりでこう云った。
「これまではなにも云わなかったが、今日はひと言だけ云わせて貰う、――もうそろそろ止めてもいいじぶんじゃないか、これ以上こんなことを続けている…

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