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主計は忙しい
かずえはいそがしい
作品ID57588
著者山本 周五郎
文字遣い新字新仮名
底本 「山本周五郎全集第十八巻 須磨寺附近・城中の霜」 新潮社
1983(昭和58)年6月25日
初出「奇譚」1940(昭和15)年4月号
入力者特定非営利活動法人はるかぜ
校正者noriko saito
公開 / 更新2024-04-13 / 2024-04-06
長さの目安約 38 ページ(500字/頁で計算)

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本文より



 持って生れた性分というやつは面白い。こいつは大抵いじくっても直らないもののようである。筆者の若い知人に、いつも「つまらない、つまらない」と云う青年がいた。なにがそんなにつまらないのかと訊くと、「なにもかもつまらないんです、別に理由はないんで、ただつまらなくってしようがないんです」と答える、「――なにしろ尋常三年生のときからこっちずっとつまらないんですから」こう云って欠伸をした。それからまた、「こいつは遺伝かもしれません、親父もよくそう云ってましたからね」などと云いだした、「――うちは百姓ですが、親父はなんにもしやしません。一日じゅう座敷に坐って、莨をふかしたり寝ころんだり、古いぼろ三味線を持ち出して来て、ぽつんぽつん糸を弾いたりしているんです、そんなものすぐに抛りだして、欠伸をして寝ころんじまう、そうしちゃあ溜息をついて、ああつまらねえ、よくそう云ってましたよ」要するに親の代からつまらないというわけで、さすが物に動ぜざる筆者も、これには挨拶の言葉がなかった。
 牧野主計はひじょうに多忙である。彼の日常をみればわかるが、こっちの頭がちらくらするほど忙しい、もちろんそういう位置にもいたわけだが、性分がもう少しどっちかへずれていたら、それほど忙しがらずとも済んだ筈である。――とにかくまず御紹介するとして、赤坂氷川下まで来て頂きたい、そこに原田市郎左衛門の大きな町道場がある、門の前に下男が二人いて、しきりに掃いたり水を撒いたりしているが、なにかみつけたとみえ、一人が高箒を控えて笑いながらこう云った。
「おいみな、また韋駄天が飛んで来るぜ」
「いやはやどうも」片方も苦笑する、「――足もとから土煙りが立ってる、どうしてまああんなに忙しいのだろう」
「避けろ避けろ、轢き殺されるぞ」
 向うから走って来る者がある。色の白いやや肥った躯で背丈は五尺八九寸、かたちのいい眉にきゅっとひき緊った唇、ちょっと下三白だが品のいい眼で、なかなかぬきんでた風格である。――これが御紹介する牧野主計だ、父は永井上総守直陳の家臣で、九百五十石の江戸やしき勘定奉行、彼はその二男で年は二十五になる。三年まえから原田道場の師範代をつとめ、同時に会計も事務もひきうけていた。それは師範の市郎左衛門が病気がちなのに、折江という娘が一人しかなく、それらの事を托す者がなかったからである。……で、彼は走って来た。正に下男どもの云う如く足もとから土煙りを立てて、だがこれは今朝に限ったことではなく、いつもこのとおりだから御承知が願いたい。
「お早うございます」二人は道を避けて挨拶した、「――いいお日和でございます」
 主計はかれらの前を風のように擦過した。
「ああお早う、いい日和だな、いつも精が出るな、御苦労」
 こう答えたのであるが、二人の耳にはあいうえおという風にしか聞えなかった。――主計は脇の入口からと…

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