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あし
作品ID57589
著者山本 周五郎
文字遣い新字新仮名
底本 「山本周五郎全集第二十巻 晩秋・野分」 新潮社
1983(昭和58)年8月25日
初出「週刊朝日」朝日新聞社、 1947(昭和22)年6月22日号
入力者特定非営利活動法人はるかぜ
校正者栗田美恵子
公開 / 更新2021-12-21 / 2021-11-27
長さの目安約 26 ページ(500字/頁で計算)

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本文より



 その葦たちは一日じゅう巨きな椎の樹のうっとうしい陰で風に揺られていた。
 将監台と呼ばれる丘の突端をめぐって、にわかに幅をひろげる川は、東へと迂曲しながら二十町あまりいって海へ注ぐ。川幅がひろがって大きく曲る左岸の、抉ったように岸へ侵蝕したところに淀みがあり、そのみぎわに沿って葦は生えていた。うしろは脆くなった粘土質のあまり高くない崖で、その上にはずんぐりと横に伸びた古い椎の樹が七八本並び、篠竹や灌木が繁っている。淀みはもとかなり深かったのだが、流れてくる土砂や朽葉などが沈積するのと、絶えずぼろぼろ崩れ落ちる崖土とで、岸のほうからしだいに浅くなり、水の涸れる冬期にはかなり広く醜い川床があらわれる。しかし泥は深いうえにまだ柔らかく、水藻がよく繁殖するので、魚たちは産卵のために好んでそこに集った。
 その岸は北に向いていた。また上からは椎の樹立の黒ずんだ枝葉や叢林がのしかかっているため、いつも暗くじめじめして、空気は湿った黴臭さに満ちていた。みぎわの葦は日光に恵まれなかった。茎は細く色も浅くなよなよしていて、葉の繁る頃には少しの風にもよろめきそよいだ。愚なよしきりは羽を休めようとしてしばしば振落され、弱い茎を折ってはおお騒ぎをしてどこかへ飛んでいった。……そこでは時間が想像も及ばないほど退屈に、のろのろと経っていった。なにごとも起らなかった、まれに川獺が魚を追いこみでもして激しい水音を立てるほかは、いつもしんと陰鬱にひそまりかえっていた。
 秋にはいったある朝、空は明るんでいるが地上はまだ暗く、川面に霧が立ちはじめているとき、ひとりの若い女がこの岸へ下りて来た。篠竹や木の根を手がかりに、崖土を踏み崩しながら。女は美しかった、だが清楚とか純真とかいう感じとは遠く、どこかに不道徳な匂いさえする美しさだった。眉も額の生えぎわも剃りこんであった。きめの密かなひき緊った肌は、不断のていれのよさを思わせる、唇は乾いていた。眼は大きく眸子は澄んでいるが、人を唆るような悩ましげな光を帯びていた。はなだ色の地に秋草を染めだした帷子の着かたも、じみな藤どっこの博多の帯の締めかたも、胸乳や腰の線を巧みに生かして、きりっとしながら崩したふうがみえる。……女はみぎわに来て跼んだ。それから抱えていた筐を膝の上に置いた。さしわたし五寸ばかりの円い螺鈿の筐で、紫の丸紐が打ってある。女は紐を解き、蓋をあけて、中から鬱金木綿に包んだ物をとりだした。ちょっとためらったのち、女はそれをひろげた。くるんである綿をのけると、古い漢鏡が一面でてきた。……女は古鏡のおもてを拭いて、そこにうつる自分の顔をみつめた。
 霧は濃くなって、川波の上を低くゆるやかに這いはじめた。空には赤みがさし、霧を透して高く鳥の渡るのが見えた。……鏡をみつめる女の表情が変った。きわめて僅かな時間に、眼のまわりに暈があらわれ、…

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