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古今集巻之五
こきんしゅうまきのご
作品ID57591
著者山本 周五郎
文字遣い新字新仮名
底本 「山本周五郎全集第二十八巻 ちいさこべ・落葉の隣り」 新潮社
1982(昭和57)年10月25日
初出「文藝春秋」文藝春秋新社、1958(昭和33)年11月
入力者特定非営利活動法人はるかぜ
校正者栗田美恵子
公開 / 更新2021-09-14 / 2021-08-28
長さの目安約 44 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

一 岡本五郎太の手記

 寛延二年三月八日の夕方五時から、石浜の「ふくべ」で永井主計のために送別の宴を催した。永井はこの十五日に参覲の供で、江戸へゆくことになったのだが、そのほかに、こんど永井家が旧禄を復活され、主計が中老職にあげられる筈で、江戸への供はその前触れを兼ねていたから、私が主人役で祝宴をひらいたのである。集まったのは私のほかに左の六名であった。

汲田 広之進(家老、三十五歳、八百二十石)
豊水 喜兵衛(年寄役、三十三歳、七百石)
志田 健次郎(小姓組支配、三十歳、百八十石、主計の義兄)
青木 惣之助(徒士組支配、三十二歳、百二十五石)
菊田又右衛門(正気館教頭、五十歳、八十五石)
島仲 久一郎(表祐筆、三十二歳、八十石)

 志田は妻女の直江が、永井の妻女の姉に当っているという関係。また菊田氏は小野派の剣法師範、われわれ全部がいちどは教えを受けているし、永井はもっとも愛された門人であった。他の五人は(私を含めて)身分の差にかかわりなく、少年時代からの親友で、汲田の三十五をべつにすれば年も殆んど似かよっていた。酒に強いのは菊田氏と豊水喜兵衛であるが、菊田氏が酔うと必ず剣術の話が出、永井を自慢したうえ、彼がその道から去ったことを責めるのであった。十余年このかた、隣りの桜井藩と毎年正月に対抗試合がおこなわれ、ずっとこちらの勝が続いていたところ、二年まえに永井が正気館を去ってから、今年ですでに三回、続けて桜井藩に勝を取られていた。
 ――噂によると家格が旧に復し、永井は中老にあげられるという。昨夜も菊田氏はそう云って主計を責めた。正気館から籍を抜いたのはそのためだと聞いたが、そんなばからしい話はない、剣法の鍛錬を続けていればこそ、中老のお役もりっぱにはたせるのではないか。
 永井は決してさからわず、まるく肥えた顔に、いつもの明るい微笑をうかべながら、菊田氏に盃を持たせっきりで、ひまなしに酌をしていた。
 ――そうです、仰しゃるとおりです、まったく仰しゃるとおりです、さ、熱いのが来ました、おかさね下さい。
 あれも剣法の呼吸の一つだろう、永井は昔から開放的な、少しもかげのない性質であったが、昨夜のような場合には特にそれがよくあらわれる。相手を下にも置かずもてなしながら、卑屈なところは微塵もないし、巧みに鋭鋒をいなす態度は、見ていても頬笑ましいくらいであった。菊田氏がきげんよく酔いつぶれ、まもなく志田が帰ったあと、友達だけになって一刻ばかり飲んだろうか、酔いがまわってくると、汲田が「席を替えよう」と云いだした。中島新地に馴染の女ができた、という噂を聞いていたので、おそらくその女を見せるつもりだろうと思った。
 菊田氏のことを女中に頼んで「ふくべ」を出ると、意古井川に沿った片側町をくだり、照光寺橋に近い「山川」へはいった。そこで男女の芸者八人を呼んで、十一時…

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