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薯粥
いもがゆ
作品ID57594
著者山本 周五郎
文字遣い新字新仮名
底本 「山本周五郎全集第十九巻 蕭々十三年・水戸梅譜」 新潮社
1983(昭和58)年10月25日
初出「講談雑誌」博文館、1943(昭和18)年12月号
入力者特定非営利活動法人はるかぜ
校正者北川松生
公開 / 更新2022-03-24 / 2022-02-25
長さの目安約 25 ページ(500字/頁で計算)

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本文より



 承応二年五月はじめの或る日、三河のくに岡崎藩の老職をつとめる鈴木惣兵衛の屋敷へ、ひとりの浪人者が訪れて来て面会を求めた。用件を訊かせると、町道場をひらきたいに就いて願いの筋があるということだった。……そのとき矢作橋の改修工事がはじまったばかりで、惣兵衛は煩忙なからだであったが、町道場ということはかねて藩主水野忠善からもはなしが出たことがあるので、ともかくも会おうと客間へとおさせた。客は十時隼人となのった、三十二三とみえる、あまり背丈は高くないが、逞しい骨組で、太い眉と一文字にひき結んだ大きな唇とが精悍な気質を思わせた。「わたくしは、五十日ほどまえに御城下へまいりました、唯今は両町の伊五兵衛と申す者の長屋に住んでおります、家族は七重と申す妻とふたり残念ながら未だ子にめぐまれておりません、尤も右はすでに御奉行役所へ届け出たとおりでございます」かれは落ちついた調子でそう述べた。生国は甲斐。郷士の子でまだ主取りをしたことはない。流名は一刀流であるが、就いてまなんだ師の名は仔細があっていえないという。それだけのことを聞くあいだに、惣兵衛はちょっと云いようのない好感が胸へ湧きあがってくるのを覚えた。かくべつどこに惹きつけられたというのでもないその男を見ているだけで、なにやらゆたかにおおらかな気持が感じられたのである。
「当藩には、いま梶井図書介という新蔭流の師範がいて、家中の教授をしておる、けれどもこれだけでは、家中ぜんぶに充分の稽古はつけられないし、もしも適当な師範がいて別に教授をすれば、却って互いに修業のはげみともなるので、実はしかるべき兵法家を求めたいと思っていたところだった、尤もすぐ師範としてお取立てになるとは申しかねる、当分のあいだは町道場として稽古をつけて貰わねばなるまいが」
「失礼でございますが、わたくしがお願いに出ましたのは、仰せのおもむきとは少し違うのでございます」十時隼人は、ちょっと具合がわるそうに惣兵衛の言葉をさえぎった、「わたくしは足軽衆のうちからその志のある人々にかぎって稽古をつけたいのでございます」
「ほう、足軽にかぎって」惣兵衛はにがい顔をした、「それはどういう仔細か知らぬが、さむらいには教授せぬというわけなのだな」
「わたくしは兵法家ではございません、教授などという人がましい技は持ちませんので、ただ御城下に住居させ頂く御恩の万分の一にもあいなればと存じ、おのれの分相応にいささかのお役に立ちたい考えだけでございます」
「それで、……わしへの願いと申すのは」
「足軽衆への、稽古をお許しねがいたいと存じます」隼人はつつましく云った、「稽古は未明から日の出までとかぎり、お勤めには差支えのないように計らいます、如何でございましょうか」
「それだけのことならば別に仔細もないであろう、尤も一応は支配むきへその旨を申してやる、追て沙汰をするであろ…

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