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おばな沢
おばなさわ
著者山本 周五郎
文字遣い新字新仮名
底本 「山本周五郎全集第二十二巻 契りきぬ・落ち梅記」 新潮社
1983(昭和58)年4月25日
初出「講談雑誌」博文館、1949(昭和24)年12月
入力者特定非営利活動法人はるかぜ
校正者北川松生
公開 / 更新2019-10-01 / 2019-09-27
長さの目安約 46 ページ(500字/頁で計算)
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本文より



 節子が戸田英之助と内祝言の盃をとり交したのは、四月中旬の雨の降る日であった。
 縁談のきまったのは去年の十月で、今年の三月には結婚する筈であったが、正月になって節子が風邪をひき、それがなかなかはっきりしないと思ううちに、午後から時間をきって熱があがるとか、かるい咳が出たり、胸がいやなぐあいに痛いとか、また肩がひどく凝って、躯がぬけるようにだるいとかいったふうに、だんだん調子が悪くなるばかりだった。
 そこで御城詰めの和田玄弘という医者に診察してもらったところ、これは労症にちがいないということで、にわかに薬も療法も変り、二十日ばかりは手洗いに立つことも禁じられた。
 当分は結婚などできまいというので、いちど戸田のほうへ取消しの相談をしたが、英之助は病気のなおるまで待つといって、そのはなしは受けつけなかった。そうしてほどなく、彼は尾花沢の番所支配を命ぜられ、いよいよ出張ということにきまって、内祝言の盃だけでもと熱心に申し出た。
 ――節子も半日くらいは起きていられるようになり、戸田のほうからこちらへ来るということで、その日ごく内輪だけの式が行なわれたのであった。
 英之助は、すぐ出張しなければならないので、盃の済んだあとゆるしを得て、節子の病間へゆき、そこでしばらく話をした。
「この部屋を見るのは初めてだな、ここで寝ていらっしゃるんですね」
 彼はなつかしそうな眼で、幾たびも部屋の中を眺めまわした。そこは彬斎といった祖父が老後に使っていた部屋で、風とおしがいいのと日がよく当るのとで、医者がすすめて病間にしたものである。
 障子の外は濡縁になっており、向うは卯木の生垣をまわして、広庭と仕切りができている。ちょうどその生垣の卯花がさかりで、まだ小さい若葉の緑とまっ白な花とが、雨に濡れてひときわ鮮やかに見えた。
「相良がいつかあなたに申し込んだことがあるそうですね」
 話の合間に、彼はとつぜんこう問いかけた。
「御両親は承知なさろうとしたのに、あなたがいやでお断わりになった。そういうことを聞いたんですが、本当ですか」
「――さあ、そんなこともあったようですけれど」
 節子は、とまどいをしたように眼を伏せた。
「――わたくしもう、よくおぼえておりませんですわ」
 相良とのいきさつは、彼は知っている筈である。現にいちど彼はそういう意味のことを云ったことがあった。今になってどうしてきゅうにそんなことをきくのだろうか、――節子のほうから逆にそう反問したいくらいだったが、英之助はそのまま話を変えた。
「こうして見ると顔色もいいし、病気をしているようには思えませんね。しかし疲れていらっしゃるなら横になって下さい」
「いいえ、わたくし大丈夫でございます」
「そりゃあ大丈夫ですとも、これは催促病気というくらいで、あなたぐらいの年頃にはよく出るんです。あせらずに気をゆったりもっ…

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