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お繁
おしげ
作品ID57603
著者山本 周五郎
文字遣い新字新仮名
底本 「山本周五郎全集第十八巻 須磨寺附近・城中の霜」 新潮社
1983(昭和58)年6月25日
初出「アサヒグラフ」 1935(昭和10)年10月12日号
入力者特定非営利活動法人はるかぜ
校正者noriko saito
公開 / 更新2021-06-30 / 2021-05-27
長さの目安約 14 ページ(500字/頁で計算)

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本文より



 曇日であった。
 わたしは青べかを漕いで河をくだり、ふたつ瀬から関門をぬけて細い水路へはいっていった。そこにはわたしが私かにみつけておいた鮒の釣場があるのだ。――左岸には川柳が茂っていて、流れにあらいだされた薄紫色の根が水の中へ美しく差伸ばされているのが見える、そこからすこし右手に朽ちかかった棒杭が五六本あって、葉の細長い藻の生えた深い淀みができている、わたしはそこへ舟を着けて釣糸を垂れた。
 曇ってはいるが降りそうでない空、不機嫌な鰥ぐらしの男が物思いに沈んでいるような陰欝な空が低く垂れている……わたしは煙草に火をつけてあたりを眺めまわした。
 そこは沖の十万坪とよばれる荒地のちょうどまんなかどころであった。北のほうに遠く村の家並が見える。貝の缶詰工場や石炭焼場から吐き出される煙は上へゆくほど薄くなる棒のように、たゆたいもせず立ち昇っている、村はずれからこちらは見るかぎりの荒地で、ひとところだけこんもりと松や珊瑚樹やポプラの茂っているのは沖の弁天という小さな社の境内である。沖の弁天から南の海べりまで続くひとすじの道があって、ひどく歪んだ松の並木が不揃いにずっと断続している。
 松並木のかなたに、ところどころ暗く葦のむらがったところが見えるのは沼地か湿地で、ときどき鵜や葦切が飛び立ったり隠れたりしている。川獺や鼬の棲んでいるのもそのあたりである。
「蒸汽河岸の先生よ」
 ふいに声をかけられたので、わたしは驚いて振り返った。
 いつやって来たものか十三四になる少女が岸の上に立っていて、わたしの振り返るのを見るとにいっと笑った。
「繁あねか」
 わたしが云った、「どうした、なにしに来たんだね」
「ええびだよ、ええびに来ただよ」
「一人かい」
「おんだらいつも一人だ、知ってんべがね」
「妹はどうしたんだ」
「あまか……」
 お繁はくすんと鼻を鳴らせた、「墓ん場にねかしてあんよ」
「墓場に?――川獺に喰われてしまうぞ」
「ふん、つまんねえ」
 少女は眼をそらせながらそこへかがんだ。
 そのときつぎはぎだらけの垢染みた袷がぶざまに紊れて、びっくりするほど白いやわらかな内腿が臀のほうまでむきだしになった。この無作法な身ごなしがわたしを狼狽させたのはいうまでもない、ほんの一瞬ではあったがわたしは顔の熱くなるのを感じながら慌てて眼をそらせたのである。
 彼女の体にそんな美しいところがあろうとは思いがけないことである。その村でいちばん汚い子供、乞食阿魔、墓場に供えた飯や菓子を喰う穢れたやつ、――それが繁あねだ。体じゅう腫物だらけで、胸のところは膿のために着物がはり着いてとれなくなっている。いつもどこかの粗朶置場か納屋に寝る。風呂へはいることなどはむろんないし一年じゅう顔を洗うこともない、虱だらけである、――それがこのお繁なのだ。
 それにしては、わたしの見た彼女の体の…

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