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内蔵允留守
くらのすけるす
作品ID57608
著者山本 周五郎
文字遣い新字新仮名
底本 「山本周五郎全集第十八巻 須磨寺附近・城中の霜」 新潮社
1983(昭和58)年6月25日
初出「キング」大日本雄弁会講談社、1949(昭和15)年11月号
入力者特定非営利活動法人はるかぜ
校正者noriko saito
公開 / 更新2022-02-14 / 2022-01-28
長さの目安約 25 ページ(500字/頁で計算)

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本文より



 岡田虎之助は道が二岐になっているところまで来て立ちどまり、じっとりと汗の滲み出ている白い額を、手の甲で押し拭いながら、笠をあげて当惑そうに左右を眺めやった。……その平地はなだらかな二つの丘陵のあいだにひらけていた。八月すえだというのに灼けつくような午後で、人の背丈ほども伸びた雑草や、遠く近く点々と繁っている森や疎林のうえに、ぎらぎらと照りつける陽ざしは眼に痛いほどだった。ところどころ開墾しはじめた土地が見えるけれど、大多分はまだ叢林の蔓るにまかせた荒地で、ことに平地の中央を流れる目黒川は年々ひどく氾濫するため、両岸には赭い砂礫の層が広く露出していた。
「……さて、どう捜したものか」途方にくれてそう呟いたとき、虎之助はふと眼をほそめて向うを見た。白く乾いた埃立った道を、こちらへ来る人影が眼についたのだ、筍笠を冠り、竹籠を背負っている、付近の農夫でもあろうかと思っていると、近寄って来たのは十七八になる娘だった、虎之助は側へ来るのを待って、
「少々ものを訊ねる」と、声をかけた。
「……はい」娘は笠をぬいだ。
「このあたりに別所内蔵允先生のお住居があると聞いてまいったが、もし知っていたら教えて呉れまいか」
「はい、存じて居ります」娘は歯切れのいい声で、「……先生のお住居でしたら、あれあの森の向うでございます、彼処にいま掘り返してある土が見えましょう、あの手前を右へはいった森の蔭でございます」
「忝ない、足を止めて済まなかった」虎之助は会釈をして娘と別れた。
 彼は近江国蒲生郡の郷士の子で、幼少の頃から刀法に長じ、近藤斎という畿内では指折りの兵法家の教えを受けていたが、この夏のはじめに皆伝を許され、これ以上は江戸の別所内蔵允どのに就いて秘奥を学ぶようにと、添書を貰って出て来たのであった。……別所内蔵允は天真正伝流の名人で、曽て将軍家光から師範に懇望されたこともあるが、既に柳生、小野の二家がある以上は無用のことだと云って受けず、その気骨と特異の刀法を以て当代の一勢力を成していた。虎之助はむろんその盛名を聞いていたから、勇んで江戸へ来たのであるが、そのときすでに内蔵允は道場を去り、目黒の里に隠棲した後であった。それで旅装を改める暇もなく、直ぐに此処へ尋ねて来たのだが、予想したより辺鄙な片田舎で、何処をどう捜してよいか見当もつかなかったのである。
 教えられたとおり四五町あまり行くと、右手に土を掘り返したかなり広い開墾地があって、半裸になった一人の老農夫が、せっせと鍬を振っていた。虎之助は念のために、その老人に声をかけて道を慥かめた。
「そうでございます」老人は鍬をとめて振返った、「……それは此処をはいって、あの森沿いの窪地へ下りたところでござりますが、先生はいまお留守のようでござりますぞ」
「お留守、……と云うと」
「此処へ移ってみえたのが二月、それから五十日ほど…

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