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恋の伝七郎
こいのでんしちろう
作品ID57610
著者山本 周五郎
文字遣い新字新仮名
底本 「山本周五郎全集第二十巻 晩秋・野分」 新潮社
1983(昭和58)年8月25日
初出「講談雑誌」博文館、1946(昭和21)年10月号
入力者特定非営利活動法人はるかぜ
校正者栗田美恵子
公開 / 更新2021-11-29 / 2021-10-27
長さの目安約 59 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

歌舞伎役者もはだしの美男

「みんなどうした、そんな隅の方へ引込んでしまってどうしようというんだ」村松銀之丞は竹刀に素振りをくれながら、端麗な顔でぐるっとまわりを見まわした、「道場は剣術の稽古をする所で居眠りをする場所じゃあない、さあおれが揉んでやるから出て来い、そこにいる松井、おまえ出ろ」「いや、いや拙者はちょっと頭が痛いもんで」松井某は片手で額を押えながら慌てて後へ退った。「じゃあ野本おまえ来い」「私はもうあがるところで」「田中はまだ汗をかいてないな」「拙者はその、いやもう今日は腹が痛くって」「おれはどうも足の神経痛がよくない」「今日は親の忌日だから」
 てんでが、指名されない先に逃げを張っている。……なにしろこの師範代は稽古が荒いのだ、歌舞伎役者のような美男で、起ち居も上品だし、言葉つきもたいそう雅びたものだが、いったん竹刀を持つと人が変ってしまう。どんな初心な者にも容赦というものがない、面を打って胴を払って足がらみにかけてすっ飛ばす、その一つ一つが辛辣で骨に徹るほど烈しい、これから先も加減というものがないのである、だから師範代の稽古というとみんなどこかしら痛みだしたり、親の忌日を思いだしたりするわけであった。
 村松銀之丞は嘲笑の眼でもう一度ぐるっと彼等を眺めまわした、「どいつもこいつも骨の無い奴ばかりだ、痛いのが厭なら上手になれ、上手になる望みがなければ剣術なんか止めてしまえ、そのほうがこっちも暇が潰れなくていい、稽古というものは、……やあ伝七、おまえそんな蔭に縮まってなにをしているんだ」そう云いながら銀之丞はつかつかと片隅へいって、門弟たちの後に首を縮めていた一人の若者の肩を掴まえた、「古参のおまえがそんなことだから他の者までだらしがなくなるんだ、出ろ出ろ、久し振りでいっぽん教えてやる」「だめだよ村松、おれはもう、さんざ稽古をやったんだ、もう疲れているから勘弁してくれ」「叩っ殺しても死なないような体をして疲れたもくそもあるか、さあ出るんだ」「痛いじゃないかそんな」「だから温和しく出ろと云うんだ、それしっかり立て」「押さなくってもいい、出るよ」掴まれた肩を振りほどきながら、こちらはしょうことなしに出ていった。色の黒い頬骨の出たぶこつな顔である、眉も眼も尻下りだし、口は大きいし、どう贔屓めに見てもぶおとこという他に批評のしようがない相貌だ。支度をして竹刀を持って、ともかくも道場のまん中に立ちは立ったが、その姿勢は剣術をやるより煤払いのほうが似合っているようにみえる。だが断わっておくが哲人は至極まじめであって、些さかもふざけたりした気持などはない、それどころかむしろ哲学的といってもいいほど敬虔な態度なのである。
「なんという恰好だ」銀之丞はあたまごなしにこう罵しる、「おまえどこか紐が緩んでるんだろう、もっとしゃんとならないのか、胸をぐっと張ってみろ、膝…

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