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避けぬ三左
さけぬさんざ
作品ID57613
著者山本 周五郎
文字遣い新字新仮名
底本 「山本周五郎全集第十九巻 蕭々十三年・水戸梅譜」 新潮社
1983(昭和58)年10月25日
初出「講談雑誌」博文館、1941(昭和16)年12月号
入力者特定非営利活動法人はるかぜ
校正者北川松生
公開 / 更新2025-10-08 / 2025-10-07
長さの目安約 22 ページ(500字/頁で計算)

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本文より



「おい、むこうから来るのは三左だろう」「そうだ三左だ」「天気を訊いてみるから見ていろ」天正十七年十二月のある日、駿河国府中の城下街で、小具足をつけた三人の若者がひそひそささやいていた。
 そこへ大手筋の方から、ひとりの大きな男がやって来た。眉のふとい、口の大きな、おそろしく顎骨の張ったいかつい顔である、眼だけは不釣り合いに小さく、おまけに処女のような柔和なひかりを帯びている。肩は岩をたたんだようだし、手足のふしぶしは瘤のような筋肉がもりあがっている。葛布の着物におなじ短袴をつけているが、袖は肱にとどかず、裾はようやく膝をかくすにすぎないから、このたくましい肉体はまるでむきだし同然だった。……こういうなりかたちといい、腰に帯びた四尺にあまる大剣といい、およそひと眼を惹く存在であるのに、彼はそのうえ痩せこけたちっぽけな犬を一匹つれていた。大げさに云えば掌へ載りそうである。毛色の黒い鼻面の尖った、いかにも臆病そうに絶えずきょときょとして、ちょっと大きな音でもすると、ひとたまりもなく悲鳴をあげて跳びあがる、つまり頑厳たる主人とはまったく相反したやつで、なんとも奇妙なとりあわせであった。
 待っていた三人のうち、口髭をたてた一人の若侍は相手が近よって来るのを待ちかねて呼びかけた。
「やあ三左ではないか、いい天気だな」「…………」「富士がよく晴れている、すこし歩くと汗がでるぞ、なんといい天気ではないか」三左と呼ばれた相手は答えなかった。黙ってまっすぐ前の方を見ていたが、やがてむっとしたような調子でしずかに云った。「そこを通してくれ、拙者は嫁をもらいにゆくところだ」三人はあっと云った。
 あっと云って眼を瞠っている三人のそばを、三左と呼ばれた男は大股に、悠々たる足どりで通りすぎた。彼はまっすぐにゆく。おなじ歩幅とおなじ歩調でゆっくりゆっくりあるいてゆく、どう見たって、「嫁をもらいに」という姿ではない、しかし、番町高辻へさしかかったとき、ちょっとした間違いがおこった。
 それは辻へ出たとたんに、西からやって来た旅装の武士とばったり突き当ったのである。相手はどこかの大身らしく、槍をたて、供を四五人つれたりっぱな武士だったが、であいがしらに両方から突き当ると、そのはずみで、冠っていた笠がつるりと前へこけた。
「ぶれい者!」りっぱな武士はこけた笠をはねあげながら、まっ赤になって呶鳴りだした、「貴公はめくらか、当方は作法通りまがって来たのに、避けもせず真正面から突き当るという法があるか、めくらなら杖をついてあるけ、なんだと思う、ここは天下の大道だぞ」
 よほど癇癪持ちとみえて、昼間の松明がどうの家鴨の躄がこうのと、早口でよくわからないことを、いろいろとならべながら喚きたてた。……こちらは黙っていた、今しがた天気を訊かれたときとおなじように、前の方をまっすぐに見戍ったまま石像の…

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