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しじみ河岸
しじみがし
作品ID57619
著者山本 周五郎
文字遣い新字新仮名
底本 「山本周五郎全集第二十五巻 三十ふり袖・みずぐるま」 新潮社
1983(昭和58)年1月25日
初出「オール読物」文藝春秋新社、1954(昭和29)年10月号
入力者特定非営利活動法人はるかぜ
校正者栗田美恵子
公開 / 更新2022-09-13 / 2022-08-29
長さの目安約 52 ページ(500字/頁で計算)

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本文より



 花房律之助はその口書の写しを持って、高木新左衛門のところへいった。もう退出の時刻すぎで、そこには高木が一人、机の上を片づけていた。
「ちょっと知恵を借りたいんだが」
 高木はこっちへ振返った。
「この冬木町の卯之吉殺しの件なんだが」と律之助は写しを見せた、「これを私に再吟味させてもらいたいんだが、どうだろう」
「それはもう既決じゃあないのか」
「そうなんだ」
「なにか吟味に不審でもあるのか」
「そうじゃない、吟味に不審があるわけじゃない」と律之助は云った、「私はこの下手人のお絹という娘を見た、牢見廻りのときに見て、どうにも腑におちないところがあるので、こっちへ来てから口書を読んでみた」
 高木は黙って次の言葉を待った。
「それから写しを取ってみたんだが」と律之助はそれを披いた、「これでみると娘の自白はあまりに単純すぎる、自分の弁護はなにもしないで、ただ卯之吉を殺したのは自分だ、と主張するばかりなんだ」
「あの娘は縹緻がよかったな」
「読んでみればわかる、これはまるで自分から罪を衣ようとしているようなものだ」
「おれに読ませるんじゃないだろうな」
「まじめな話なんだ」と律之助は云った、「私に再吟味をさせてくれ、申し渡しがあってからでは無理かもしれない、しかしいまのうちなら方法がある筈だ、たのむからなんとかしてくれないか」
 高木は訝しそうな眼で彼を見た。
「なにかわけがあるのか」
「それはあとで話す」
「ふん、――」と高木は口をすぼめた、「あの係りは小森だったな」
「小森平右衛門どのだ」
「彼はうるさいぞ」と高木は云った、「彼は頑固なうえにおそろしく自尊心が強い、もし自分の吟味に槍をつけられたことがわかりでもすると、どんな祟りかたをするかもしれないが、いいか」
 律之助は微笑した。
「それでよければ、考えてみよう、但しできるかどうかは保証しないぜ」
 律之助は安心したように頷いた。
 花房律之助はこの南(町奉行所)では新参であった。彼は町奉行所に勤める気はなかったし、父の庄右衛門も同じ意見だった。しかし父が死ぬときの告白を聞いて、彼は急に決心をし、母の反対を押し切って勤めに出た。死んだ父は二十年ちかいあいだ、町方と奉行所で勤め、死ぬまえの五年は北町奉行の与力支配であった。そのおかげがあったかもしれない、役所は南だったが、律之助は年番(会計事務)を二年やり、次に例繰(判例調査)、牢見廻りというふうに、短期間ずつ勤めたうえ、つい七日まえに吟味与力を命ぜられた。――高木新左衛門は父方の従兄に当る、年は五つ上の二十九歳であるが、早くから南に勤め、吟味与力として敏腕をふるった。現在では支配並という上位の席におり、人望もあるし、信頼されているようでもあった。
「保証できないと云ったが、あれなら大丈夫だ」と律之助は自分に呟いた、「あれならきっとなんとかしてくれるに相…

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