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桑の木物語
くわのきものがたり
著者山本 周五郎
文字遣い新字新仮名
底本 「山本周五郎全集第二十二巻 契りきぬ・落ち梅記」 新潮社
1983(昭和58)年4月25日
初出「キング」大日本雄辯會講談社、1949(昭和24)年11月
入力者特定非営利活動法人はるかぜ
校正者北川松生
公開 / 更新2020-05-09 / 2020-04-28
長さの目安約 81 ページ(500字/頁で計算)
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本文より



 その藩に伝わっている「杏花亭筆記」という書物には、土井悠二郎についてあらまし次のように記している。
「土井右衛門、名は悠二郎。忠左衛門茂治の二男に生れ、わけがあって七歳まで町家に育った。八歳の春から幼君のお相手として御殿へあがり、ずっとお側去らずに仕えたが、二十一のとき致仕した。
 生れつき奔放にして無埒、つねに奇矯のおこないが多く、宗眼日録には、勤めかたよろしからず、ということがしばしば挙げてある。致仕してのちは市中にかくれ、親族や旧知とも断って無為に一生を終ったという。
 また上屋敷の庭の奥に、いま大木になった桑の林があるのは、泰春院さまが少年のころ、彼のすすめによって植えられたと伝えられるが、このような進言をするところなども、彼の無埒な性分のあらわれであろう。――ちなみに宗眼日録は泰春院さま御一代の記録であって、御歴代の中興であると同時に、稀世の名君といわれる侯の、生涯と治績とが詳述されてある。筆者は新泉宗十郎、のちに国老となり、宗眼と号した」
 以上が記事の概略であるが、はなはだかんばしくない。「生れつき奔放無埒」とか「勤めかたよろしからず」とか、だいぶてひどくやられている。大名屋敷の奥庭、――町家などでもそうだが、――桑の木を植えるなどというのは変っているが、それが奇矯というほどのことかどうか。いちがいに断言はできないだろう。
 また読者の便宜のために、同じ「杏花亭筆記」にある彼の祖父の記事を、その要点だけぬいて紹介しよう。
「土井勘右衛門、虚木と号す。浄松院さまのとき留守役(世襲)より側御用に召され、老職を兼ねて信任もっとも篤く、浄松院さま御他界ののちは、世子の御養育に専念した。泰春院さまの英明果断の資質は、勘右衛門に負うところ多しともいう。――また他に評がある。彼は豪放磊落なれど、酒を好み、老年に及ぶまで遊里にでいりし、俗曲、俳諧に長じ、日常のようすには不拘束なことが少なくなかった」と。
 これにも「他の評」として一種の批判がつけ加えてある。重職であるうえに藩主の幼君の育て役といえば、相当な人格者でなければならない筈だが、酒好きで遊里にでいりして、日常が不拘束だとするとあまり褒めたはなしではない。――そしてこの点、悠二郎の「奔放無埒」と、なにか因果関係があるのではないだろうか。
 悠二郎は双生児であった。兄を左門松太郎という。武家では双生児を嫌うので、生れるとすぐ里子にやられた。杏花亭はただ「町家」と記しているが、詳しくいうと浅草六軒町にある「舟仙」という舟宿であった。
 父の忠左衛門はもの堅い性分で、留守役という社交的な勤めにいながら、酒も多くはたしなまず、たった一つ金魚を飼うという趣味のほか、碁将棋も知らないというふうだった。しかし祖父の勘右衛門はかなり道楽者だったらしい。杏花亭が記しているように、ずっと老年まで吉原や深川あたりでよ…

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