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さるすべり |
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| 作品ID | 57622 |
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| 著者 | 山本 周五郎 Ⓦ |
| 文字遣い | 新字新仮名 |
| 底本 |
「山本周五郎全集第十九巻 蕭々十三年・水戸梅譜」 新潮社 1983(昭和58)年10月25日 |
| 初出 | 「富士」大日本雄辯會講談社、1943(昭和18)年7月号 |
| 入力者 | 特定非営利活動法人はるかぜ |
| 校正者 | 北川松生 |
| 公開 / 更新 | 2026-04-28 / 2026-04-27 |
| 長さの目安 | 約 25 ページ(500字/頁で計算) |
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一
「かねて御推量もございましたろうか、治部少輔(石田三成)こと、上方において挙兵をつかまつり、伏見はすでに落城と申すことでござります」おどろくべき言葉を耳にして、思わず起きあがろうとしたが、あやうく自分のいる位置に気づき、浜田治部介は息をころしてじっとしていた。衝立屏風の向うでは使者がつづけて云う、「急報によって内府(徳川家康)には小山の陣をはらい、江戸へ帰城とあいさだめましたが、こなた少将(伊達政宗)どの御所存はいかがにございましょうや、もっとも御妻子は大阪おもてに質としてござあることゆえ、いちがいにお味方のあいなりがたき次第も、人情しかるべしと内府存じよりにございます」
「中途ながらその御趣意はしばらく」政宗がよくとおるこえで使者の口上をさえぎった、「内府さま御恩顧はまさむね夢寐にも忘れ申さぬ、たとえ妻子を質としこれを焚殺さるるとも、神明に誓って内府さまへのお味方に変心はおざらぬ、この儀はしかと申上げておきます」「お言葉ねんごろには存じまするが、御老臣がたともよくよく御談合あそばされませんでは」「政宗存じよりに反く家来はいちにんもおり申さぬ、御念におよばず内府さま御采配を承りましょう」
使者は押しかえして老臣との会議をもとめた、政宗は一存の動かざることを誓いぬいた。くどいと思われるほどのやりとりがあって、それならばと使者はかたちを正し、家康の軍令を伝えた。
「少将さまにはすみやかに白石城をひきはらい、岩手沢(陸前玉造郡)に陣をととのえて会津を御牽制なさるべしとのことにございます」「白石より退却せよと仰せあるか」政宗は意外なことを聞くというように、ややこえをはげまして反問した。
徳川家康が会津征伐の令を発したのは慶長五年六月のことだった。伊達政宗はすぐに大阪を立って奥へくだり、七月十二日に陸前のくに名取郡の北目城へはいった。本城は岩手沢にあるのだが、それより遙かに挺進して陣をしいたのは、はやく敵地を侵して戦果を大にするためで、すなわち時を移さず白石城へ攻めかかった。白石城は上杉氏の北辺のまもりとして最前線であり、甘粕景継を将とし精兵すぐって守備に当っていたが、伊達軍の巧妙な戦法にもろくも潰え、七月二十五日ついに開城した。この白石攻略には二つの意義があった、それは上杉氏の前線拠点の破砕と、旧領の回復とである、つまり白石城のある刈田郡と、その付近の信夫、伊達などの諸郡は数年まえまで政宗の領地だったのだ。この二つの意義をもつ白石から撤退せよという、政宗にとって意外でもあり不満でもあるのは当然のことだった。
「前進せよとの御采配なれば」とかれは云った、「全軍の命を賭してもつかまつるが、退却せよとの仰せは憚りながら御無理かと思われる」「その御挨拶はごもっともでございますが」しかしと云って使者は膝を正した。
石田三成の挙兵は会津の上杉景勝とかたい連繋のうえに…