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柘榴
ざくろ
作品ID57627
著者山本 周五郎
文字遣い新字新仮名
底本 「山本周五郎全集第二十一巻 花匂う・上野介正信」 新潮社
1983(昭和58)年12月25日
初出「サン写真新聞」サン写真新聞社、1948(昭和23)年4月
入力者特定非営利活動法人はるかぜ
校正者noriko saito
公開 / 更新2022-09-04 / 2022-08-27
長さの目安約 25 ページ(500字/頁で計算)

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本文より



 真沙は初めから良人が嫌いだったのではない。また結婚が失敗に終ったのも、良人の罪だとは云えない。昌蔵のかなしい性質と、その性質を理解することのできなかった真沙の若さに不幸があったのだと思う。
 松室の家は長左衛門の代で、中老の席から番がしら格にさげられ、更にその子の伊太夫の代で平徒士におちた。長左衛門は癇癖が祟って刃傷したためであるし、伊太夫は深酒で身を誤った。二代で中老から平徒士までおちるのは稀だと云っていいだろう。昌蔵は祖父がまだ中老だった頃の矢倉下の屋敷で生れ、九間町のお小屋で幼年時代を、そして十一の年からは御厩町の組屋敷の中で育った。――階級観念のかたくなな時代に、こうして転落する環境から受けるものが、少年の性質にどういう影響を与えるかは云うまでもあるまい。それに元もと祖父や父の感情に脆い血統の根もひいていたことだろうし、不幸はすでに宿命的だったという気もするのである。
 生家の井沼は代々の物がしら格上席で、父の玄蕃は御槍奉行を勤めていた。真沙の上に真一郎、源次郎という兄があり、彼女はおんなの末っ子であるが、父の人一倍きびしい躾で、ごく世間みずな融通のきかない育ち方をしたようだ。松室との縁談は戸沢数右衛門という中老から始まり、父には難色があったようだが、「松室の将来は自分が面倒をみるから」こういう戸沢中老の一種の保証のような言葉があって纒まったらしい。勿論これは結婚が不幸に終ったあとで聞いたことだし、そのために戸沢中老に責をかずけるようなものではないけれども。――真沙は結婚という現実よりも、自分のために作られる衣装や、髪かざり調度などの美しさに、心を奪われるほど若かった。「十七にもなってこの子は、――」母親に幾たびもそう云われたほど若かったのである。祝言は八月のことで、話があってから三十日ほどしか経っていなかった。人の家へ嫁すということより、ふた親や兄たちと別れ、生れた家を去るという悲しさのほうが強く、でかける前になって庭へぬけだし、色づき始めた葉鶏頭のところで激しく泣いたが、誰にもみつからないうちに涙を拭いて部屋へ戻った。……そのときの葉鶏頭の色と、それを眺めて泣いた涙のまじりけのない味を、そののち真沙はどんなに懐かしんだか知れなかった。
 新しい生活は真沙に衝撃を与えた。年よりも遙かにもの識らずだった彼女は、恐怖と苦痛と不眠とで、数日のうちに驚くほど憔悴した。松室には病身の姑がいた。ごく口数の少ない人で、もう二年ばかりひき籠ったきりだったが、このひとが真沙の様子に気づいたとみえ、さりげない事に託して色いろ話して呉れた。それでともかく訳のわからない恐怖は消えたが、その言葉のなかにあった「おんなという者のつとめだから、――」という表現がつよく頭に残った。どんな美味でも、それを喰べることが義務になったばあいには、食欲は減殺される。精神的にも肉躰的…

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