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秋風不帰
しゅうふうふき
作品ID57635
著者山本 周五郎
文字遣い新字新仮名
底本 「山本周五郎全集第十八巻 須磨寺附近・城中の霜」 新潮社
1983(昭和58)年6月25日
初出「講談雑誌」博文館、1939(昭和14)年11月号
入力者特定非営利活動法人はるかぜ
校正者noriko saito
公開 / 更新2024-10-06 / 2024-10-05
長さの目安約 29 ページ(500字/頁で計算)

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本文より



「ねえお侍さん、乗っておくれよ」
「しようのない奴だな」
 狩谷夏雄は苦笑しながら振返って、
「何度も云う通り拙者は城下まで行くのだ、ここはもう柳繩手の町外れではないか、ここから馬に乗ってどうするのだ」
「それでも、……ねえ乗って下さいよ、……じゃなければ草鞋を一足買っておくんなさい、お侍さんのは、もう緒が切れそうだよ」
 年は十六か七であろう、まっ黒に日焼けのした顔に似合わず、頬冠りの下から覗いている眼は、人懐こい艶々とした光を帯びて、肯かぬ気らしい唇許も、娘のようにしっとり湿っている。……畦道のかかりから痩馬を曳いて、しつこく従いて来るのだが、その調子がどこかしら普通の馬子でないものを持っているということに、夏雄はすこしも気付かなかった。
「ねえ、草鞋を買っておくれよ」
「うるさいな馬子、拙者は城下に家があってそこへ帰るのだ、五年の旅を終えていま家へ帰るんだから、草鞋だっていりはしないよ」
「じゃあ、お侍さんは御家中の人かい」
「そうだ」
「それじゃあねえ、若しや……」
 馬子が、つと側へ寄ろうとした時、
「おい、その馬ぁ空いているのか」
 と後から声を掛けた者がある。
 ……馬子と一緒に夏雄も思わず振返った。町人風の眼の鋭い男が二三間後からこっちを見ていた。
「急ぎの用なんだ、空いているなら、ちょいとやってくんな」
「それ客だ、行ってやるがいい」
 そう云って夏雄は道を急いだ。
 信濃国西条の城下町、小山備前守四万石のお城が夕日に赤々と映えている、……六年め、本当に五年振りで見る故郷だった。
 狩谷夏雄の父は与右衛門と云って、西条藩の槍奉行を勤めて三百二十石、夏雄はその二男で伊兵衛という兄がある。……兄は実直一方の男で早くから御側へ上り、二十歳の時には御書院番として、役料五十石を貰っていたが、夏雄は武芸好きで既に十歳の頃から、藩の進武館へ入り、十九歳で筆頭の札を掲げるほど才分に恵まれていた。
 進武館で認められた者は、江戸へ遣わされて柳生家の稽古を受けられるのだが、夏雄はそれを嫌っていた。
 ――もう柳生の剣法は古い。伝統の型に憑かれて本来の魂を失っている、自分はもっと広く世間を見て、自由に大きく伸びたい。
 慢心ではなく、極めて謙虚な気持でそう思っていた彼は、二十二歳の春、父を説き主君の許可を得て兵法修業の旅に出た。
 ……以来五年、出来るだけ山間僻地を廻っては隠れた剣人を尋ね、剣法を職業としない人々のみが持っている純粋なものだけを学んで来た。
 莫遮、夏雄の胸はいま帰郷の感動でいっぱいである。帰路は駄馬の脚がはずむという。五年相見ぬ家がもうそこに近づいているのだ。父を思い、兄を想い、友の誰彼を思う心は、そのまま足に表われて、一日路には無理な山路を元気いっぱいに歩き通して来たのだった。
 お城の天守を染めている西日が落ちた。
 晩秋の遽しい黄昏…

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