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醜聞
しゅうぶん
作品ID57636
著者山本 周五郎
文字遣い新字新仮名
底本 「山本周五郎全集第二十九巻 おさん・あすなろう」 新潮社
1982(昭和57)年6月25日
初出「小説新潮」新潮社、1964(昭和39)年6月
入力者特定非営利活動法人はるかぜ
校正者北川松生
公開 / 更新2022-11-12 / 2022-10-26
長さの目安約 47 ページ(500字/頁で計算)

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本文より



 苅田壮平はなめらかに話した。それはちょうど、絵師が自分の得意な絵を描くのに似ていた。どの線もどの点も、またぼかしの部分や着彩の順にも、いささかの誤りもためらいもなく、すらすらと描きあげてゆくのを見るようであった。
 楯岡のときと同じだな、と功刀功兵衛は思った。楯岡平助のときと殆んど同じだと、――裏のほうで仔猫のなく声がし、窓外の庇に枯葉の散りかかる音が聞えた。
「いや、私にはできません」と功兵衛はかすかに首を振った、「それは不可能だというほかはありません」
 苅田は冷えてしまった茶を啜り、菓子鉢から栗饅頭を取って喰べた。
「ほう」苅田は好ましそうに微笑した、「これは寿栄堂の栗饅頭ですな、わたしはまたこれがなによりの好物でしてね、あの店はおやじと娘の二人でやっているんだが、娘はもう二十八九にもなるでしょうかな、おやじの栄吉があの娘を可愛くって手放せない、娘はあのとおりのきりょうよしだから、縁談は掃いて捨てるほどあるんだが、おやじがうんといわないためいまだに白歯のまんまです」
 いつもの癖だ、と功兵衛は思った。都合がわるいとみると巧みに話をそらす。これまではもっと巧みだったが、いまではもう薹が立ってしまった。みじめだなと、功兵衛は相手から眼をそらした。
「いかがでしょう、あと半年」苅田は急に話を元へ戻した、「来年の四月までには必ず片をつけますが」
「あなたはまえにもそう云われた」
「功刀さんには正直に申上げた」と苅田はきちんと膝へ両手を置いた、「わたしは私利私欲のためにやったのではない、生計の苦しさに耐えかねた者たちのため、見るに見かねてやったことです」
 また庇へ枯葉が散りかかり、それがみぞれでも降りだしたかのように聞えた。
「いますぐにと云っても、かれらには返済する能力がありません」苅田は続けていた、「しかしここで半年のゆとりがあれば、間違いなく金は集まると思う、いや必ず、たとえわたしの身をはたいても集めてみせます」
 功兵衛はちょっとまをおいて反問した。
「あなたは楯岡さんのことを覚えていますか」
 苅田壮平は口をあき、眼をみひらいた。耳の側でとつぜん鐘を鳴らされでもしたような感じで、すぐには返辞もできないようすだった。
「功刀さんは」とようやくにして、苅田はさも心外そうに云った、「あなたはこの私をそんなふうに考えていらっしゃるのですか」
「覚えているかどうかを聞いたまでです」
「わたしはまた功刀さんが、もっとよくわたしの話を理解して下すったものと思っていました」
「それは思い違いです」功兵衛はゆっくり首を振った、「あなたが御用金をどう使われたか、私は知りもしないし知りたいとも思いません、その事情をどんなに詳しく話されたところで、私には関係もなし、どうする力も私にはないのです」
 苅田はながい太息をついた。
「殿の御帰国は来年の三月、それまでは待ち…

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