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粗忽評判記
そこつひょうばんき
作品ID57640
著者山本 周五郎
文字遣い新字新仮名
底本 「山本周五郎全集第十八巻 須磨寺附近・城中の霜」 新潮社
1983(昭和58)年6月25日
初出「富士」大日本雄辯會講談社、1929(昭和14)年7月号
入力者特定非営利活動法人はるかぜ
校正者noriko saito
公開 / 更新2024-02-14 / 2024-02-06
長さの目安約 29 ページ(500字/頁で計算)

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本文より



 苅田久之進は粗忽者という評判である。粗忽者といってもどの程度に粗忽なのかはよく分らない、いちどそういう評判をとってしまうとつまらぬ失策まで真らしく喧伝されるもので、ときには他人の分まで背負わされることも珍しくはない。これはつまり何々の粗忽があったという事実が元ではなくて、むしろその人柄によるものであろう。普通の人間がしたことならかくべつ面白くも可笑くもないのに、彼のしたことだとなると急に精彩を放って、いかにも並外れた滑稽さを帯びてくるのだから奇妙である。ことに久之進の場合にはそれを助長するもうひとつの条件があった。それは主君三浦壱岐守明敬が彼に劣らぬ粗忽な人であったことだ。しかも壱岐守は性急の質で、忘れっぽくて早耳という粗忽人の特徴を備えているのに、久之進は落着きはらって粗忽をやるのだから目立つこともまた一倍であった。ある時この二人が馬競べのあとで優劣の論を生じたことがあった。壱岐守は次第に旗色が悪くなるので大いにせき、「では囲碁で勝敗を決めよう」と云った。「いかにも承知でござる」久之進はにやにや笑いながら立って行ったが、間もなく将棋盤を持って来て据えた。にやにや笑って立つまではいかにも落着いたものだが、肝心の物を間違えている。当人も気がつかないし壱岐守は元より大いにせきこんでいるので、すぐに駒箱を明けながら、「許す、先手で参れ」「それはなりません。先手は下手なほうが取るもので、お上と拙者とでは段が違います」「余の命令じゃ、先手で参れ」「御意なればやむを得ません、では――」久之進はしぶしぶ駒箱の中へ手を入れた。
 ここで気がつくかと思うと気がつかない。指先で駒を弄りながらはてなと考えだした。碁は打つもの、将棋は並べて指すものである。駒と石とが違っているから摘んではみたが具合が変なのはあたりまえだ。壱岐守も駒を捻っていたが久之進のようすを見てこいつまた何か失策たなと思った。粗忽人の癖としてこうなると『失策た』という考えだけに突当って他のことは忘れてしまう、しばらく無言のまま駒を弄りまわしていたがついに壱岐守が取って付けたように笑いだした。
「どうだ、久之進、え――どうだ」
 何がどうなのか分らない、ところが久之進のほうもまたひどく恐縮したようすで、
「いや、どうも、まことにどうも」
「あははは、どうだ久之進、どうだ、どうだ、あははは」
 むやみにどうだどうだと云って笑っている。久之進も笑いだした、二人でしばらくけらけらと笑っていたが、やがて碁のことには一言も触れず、揃って庭のほうへ出て行ったところをみると、両方とも何を間違えて可笑くなったのか、分らずじまいらしかった。
 壱岐守はことあるたびに、久之進は粗忽者だからと云う。けれどもそれは非難の言葉ではなくてむしろ寵愛の意味であった。久之進は十五歳の時から御硯役といって、もう七年もお側去らずに仕えているが…

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