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蕭々十三年
しょうしょうじゅうさんねん
作品ID57641
著者山本 周五郎
文字遣い新字新仮名
底本 「山本周五郎全集第十九巻 蕭々十三年・水戸梅譜」 新潮社
1983(昭和58)年10月25日
初出「新国民」1942(昭和17)年1月号
入力者特定非営利活動法人はるかぜ
校正者北川松生
公開 / 更新2026-01-18 / 2026-01-15
長さの目安約 17 ページ(500字/頁で計算)

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本文より



 明暦三年の火事は江戸開府いらいはじめての大災だった。正月十八日午後三時ころ、西北の烈風ちゅうに、本郷五丁目裏にある本妙寺から発した火は、ほとんど市街の三分の一を焼き、ついに江戸城の本丸天守閣をさえ炎上せしめた。そしてまだその余燼の消えやらぬ翌十九日、小石川の新鷹匠町と、麹町五丁目との二カ所から出火し、江戸城の諸門は大手をのぞくほかすべて焼亡、品川の海岸まで延びてようやく鎮火した。罹災したもの、武家屋敷では、万石以上のもの五百余、旗本屋敷七百七十余、堂社三百五十、町屋千二百町、焼死者十万七千というありさまで、この夥しい死躰を埋葬供養したのが本所回向院である。
 この十九日の大火のときであった。ふたたび江戸城へ火が迫ったとみて、諸大名旗本の人々はすぐさま駆けつけて来た。しかしこういう場合には誰でも城中へはいれるわけではない。諸門には譜代旗本が警固していて、入れてよい者は通し、必要のない者は見舞の言上だけ受けてかえしてしまうのである。殊にそのときは由井正雪、別木庄左衛門などの事件があって間もないために門々の固めは厳重をきわめていた。
 井伊掃部頭直孝のかためている桜田門へ、岡崎城主、水野監物忠善が馬を乗りつけて来た。まかり通ると名を通じたが、忠善のうしろに八名ばかり家来がいるのを見て、「ひじょうの場合、家来はあいならぬ」と直孝が押しとめた。
「家来と申しても僅かに数名、お役のはしにもあいたつべく、お通しがねがいたい」
「御城中にも人数はござる、家来はあいならぬ」
「……さらば」忠善はとっさに思案して、「馬の口取り両名はおゆるしください」
「いや乗馬はあいなり申さぬ、それほどの事をわきまえぬ監物どのでもあるまい」
「おひかえめされ」忠善はどなりだした、「かかる大変の場合、乗馬なくしていざというときのお役がつとまると思うか、ならぬというなら押し通ってみせるぞ」
 荒大名として忠善の名はかくれもなかった、いけないと云えば本当に押しやぶっても通るにちがいない、直孝はしかたがないので、「では片口でお通りなされ」と答えた。
 片口とは馬の口取り一名のことである、直孝がそう云ったとたんにこの問答を聞いていた忠善の家来たちの中から、いきなり一人とびだして来て、轡をとっていた下郎をだっとつきのけ、「弥五郎口取りをつかまつる」叫びながら馬の口へとりついた。それとほとんど同時に、「いやその口取りは拙者が承る」と云ってもう一人とびだして来た。主君の供ができるか否かの大事な瞬間である、あとからとびついた男はけんめいに相手をつきのけようとした。しかし忠善が即座に、「もうよい、弥五郎が先についたのだ、口取りは弥五郎でよいぞ」と制した。
 するとあとからとびついた男は憤然と忠善をふり仰ぎ、
「殿! おぼえて御座あれ!」と絶叫した。
 夢中だったのである、主君の供がしたいという一念でとりみ…

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