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![]() じゅんし |
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作品ID | 57648 |
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著者 | 山本 周五郎 Ⓦ |
文字遣い | 新字新仮名 |
底本 |
「山本周五郎全集第十九巻 蕭々十三年・水戸梅譜」 新潮社 1983(昭和58)年10月25日 |
初出 | 「キング」大日本雄辯會講談社、1943(昭和18)年1月号 |
入力者 | 特定非営利活動法人はるかぜ |
校正者 | 北川松生 |
公開 / 更新 | 2024-11-09 / 2024-11-06 |
長さの目安 | 約 22 ページ(500字/頁で計算) |
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一
「どういうわけなんだ、いったいこれはどうしたというのだ」八島主馬はすこし腹立たしそうにまわりの人々を見まわした、「まるでめしゅうどを警護しているようではないか、五郎兵衛、きかせてくれ、これはどういうわけなんだ、みんな此処でなにをしているんだ」「まあ待て、仔細はいまに話す」久米五郎兵衛がなだめるように云った、「なにもそこもとを窮命しているわけではない、おれたちはまあいわばとのい詰めのようなものなんだから」「とのい詰めだって」「云ってみればそんなところだ、いいからもう少しこうさせて置いて呉れ」主馬はぶきげんに[#「ぶきげんに」はママ]向き直り、仏壇の鉦をうちならしてふたたびしずかに誦経をはじめた。
故ごしゅくん因幡守浅野長治侯が逝去したのは五日まえ(延宝三年正月九日)のことだった。そして今日は鳳源寺で葬りの礼がとりおこなわれた、その式に列して家へかえると、まもなくいま此処にいる五人の者がたずねて来て、そのままそばに付いてはなれないのである。べつに用事があるともみえなかった、話すこともとりとめて緊要と思えるものはなかった。そのくせもう宵も過ぎようという時刻なのにうごくけしきがない。――いったいどういうわけなのか。主馬は唱名しながらもそのことが胸につかえてしかたがなかった。
宵がすぎると冷えがきびしくなってきた。この備後のくに三次はまわりを山にかこまれているし、山陰国境からふきおろしてくる雪まじりの風は骨までとおる凛烈なものである。主馬は三次の冬はこれがはじめてだった、かれは江戸家老をつとめる八島主計の二男で、ずっと江戸屋敷のつとめだったが、去年の春ごしゅくんのおぼしめしで初めて国許へお供をして来た。幼年からおそばに仕え、「くにもとでは福尾庄兵衛、江戸では八島主馬」といわれるほど篤い寵をうけていた。だからいまごしゅくんの逝去にあったかれには、はじめてきびしい山ぐにの冬がひとしお身にしみるように思えるのであった。「たいそう冷えます、笑止ながらおしのぎにはなろうかと存じまして」家扶がそう云って、温めた桑酒をはこんできたのはもう九時に近い頃だった。みんなよろこんで杯をとった、けれどそれでも座を立とうとはしない、火桶のそばへにじり寄って言葉もなく主馬のようすを見まもっていた。――ぜんたいこれはどういう意味なのか、またしても考えがそこへもどったとき、ようやく主馬に思いあたることがあった。――そうだ、それにちがいない。
五日いらい自分のあたまから去らなかった思案が、そう思い当ったときあらためてはっきりと意識の表面へあらわれてきた、それで主馬は誦経をやめてふりかえった。しかしかれが口をきろうとするまえに、家扶の案内で富沢右市郎がはいって来た。「どうした、まだ知れないか」待ちかねていたように五郎兵衛がきいた。右市郎はあるじに会釈して坐った。「ようやくわかった」「どこにい…