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ちくしょう谷
ちくしょうだに
作品ID57657
著者山本 周五郎
文字遣い新字新仮名
底本 「山本周五郎全集第五巻 山彦乙女・花も刀も」 新潮社
1983(昭和58)年7月25日
初出「別冊文藝春秋」1959(昭和34)年4月
入力者特定非営利活動法人はるかぜ
校正者富田晶子
公開 / 更新2019-08-16 / 2019-07-30
長さの目安約 142 ページ(500字/頁で計算)

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本文より



 朝田隼人が江戸から帰るとすぐに、小池帯刀が訪ねて来た。
「こんどの事はまことに気の毒だ」と帯刀は挨拶のあとで云った、「しかし織部どのと西沢とのはたしあいは、斎藤又兵衛の立会いでおこなわれ、正当なものと認められたし、西沢は三年間の木戸詰に仰せつけられて山へいった、事ははっきり始末がついたのだから、どうか騒ぎを起こすようなことはしないでくれ」
 隼人は伏し眼のまま黙っていた。
「丹後さま騒動がおさまって五年にしかならない」と帯刀はまた云った、「それも本当に平静をとりもどしたのは、丹後さまの亡くなった去年からだ、そこをよく考えて、家中ぜんたいのために堪忍してくれ」
 隼人が静かに眼をあげた、「はたしあいのあったのは、六月十七日だったそうだな」
「十七日の午後、北の馬場でだ」
「おれは江戸で兄から手紙をもらったが、その日付は六月十二日になっていた」
 帯刀が訊いた、「どういう手紙だ」
「おれは騒ぎを起こすつもりはない」
「こんどの事に関係のある手紙か」
「それは二度と訊かないでくれ」と隼人が云った、「これからは後見として、甥の小一郎を育ててゆかなければならない、それがせめてもの兄への供養だと思う」
 帯刀は頷いた、「どうかそうあってもらいたい、わかってくれて有難う」
 隼人は黙って会釈を返した。
 兄の織部の死は江戸で聞いた。兄は勘定奉行を勤めていたが、部下の西沢半四郎という者と決闘をして即死した。納戸方の斎藤又兵衛という者が立会い人で、西沢と共に与田滝三郎になのって出、ありのままに事実を申し述べた。与田は中老の筆頭で、すぐ小池帯刀に連絡し、北の馬場へいって現場の検視をし、織部の遺躰を朝田家へ運んだうえ、妻のきい女に仔細を告げた。遺躰には突き傷が二カ所あり、その一が心臓を貫いていた。――この藩では、立会い人の付いた決闘は正当なものと認められており、たとえ死者が出ても、法的に罪に問われることはなかった。但しこの場合には織部が温和な性格で、これまで人と争った例が殆んどなく、知友のあいだでもっとも信頼されていたため、どうして決闘などをしたかというその原因が疑われた。当の西沢は訊問に対して、侍のいちぶんが立たないから決闘したのであり、理由は故人の名誉にかかわるから云えない、と答えるだけであった。また斎藤又兵衛は、二人に頼まれてやむなく立会い人になったので、決闘の理由はなにも知らない、ということであった。
 ――故人の名誉にかかわるから云えない。
 西沢半四郎はそう答えたが、織部の後任を命ぜられた野口助左衛門は、事務引継ぎに当って帳簿の不正操作を発見し、出納会計から五百両ちかい金が、織部の印判によって引出されていることをつきとめた。そこで、与田滝三郎は西沢を呼び出したうえ、決闘の理由がその点にあったのかどうか、と訊問したところ、西沢はやはり返答を拒み、「自分としては故…

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