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契りきぬ
ちぎりきぬ
作品ID57673
著者山本 周五郎
文字遣い新字新仮名
底本 「山本周五郎全集第二十二巻 契りきぬ・落ち梅記」 新潮社
1983(昭和58)年4月25日
初出「ロマンス」ロマンス社、1949(昭和24)年10月~11月
入力者特定非営利活動法人はるかぜ
校正者北川松生
公開 / 更新2020-03-30 / 2020-02-21
長さの目安約 67 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

一の一

「また酔っちまったのかい、しようのないこだねえ、お客さんはどうしたの」
「いま菊ちゃんが出てるわ、こうなっちゃだめよかあさん、このひとにはお侍はいけないって、あたしそ云ってあるじゃないの」
「お侍ばかりじゃないじゃないか、お客ってお客を振るんじゃないか、それあ今のうちはいいさ、稼ぐことは稼いで呉れるんだから、こっちはまあいいけどさ、こんなこっちゃおまえ、いまにお客が黙っちゃいないよ、さんざっぱらおまわりだのちんちんだの好きなようにひきまわしておいてさ、いざとなるとみんなおあずけなんだもの、あれじゃあんまりひどいよ」
「あたしだって初めのうちはそうだったわ、ひとにもよるだろうけれど、汚れないうちはつい一日延ばしにしたいもんよ」
「このこはそんな初心なんじゃないね、どうして、相当しょうばいずれがしているよ、素人でこんなに酒びたりになれるもんじゃないし、性わるで有名な柏源さんまで手玉にとるところなんかさ――玉藻前じゃないけれど、いまにきっと尻尾を出すからみてごらん」
 酔いつぶれたおなつはうつらうつらとそこまで聞いていた。悲しいなと思った。そうしていつものように、口のなかで母の名を呼びながら、いつか眠ってしまったらしい。――その泥のような不愉快な眠りのなかで、珍しくお屋敷の正二郎さまの夢を見た。まるまると肥った頬ぺたを赤くして竹の棒でいっしょけんめいに地面を掘っていらっしゃる。なにをしていらっしゃるのかときくと、
 ――この中にいい物があるんだよ。待っといで、いまみんなおまえにやるからね。
 こう云っているうちに、その掘った穴からどんどん水が湧きだした。さあ手を入れてお取りというので、水の中へ手を入れて掻きさぐると、一朱銀がざくざく出て来た。幾らでも出て来るのである。うれしさの余り胸がどきどきし、これでお米も買えるし母さんのお薬も買える。こう思いながら水の中から掴みだしては手桶へ入れていると急に周囲で笑いごえが起った。びっくりして見まわすと、正二郎さまは影もかたちもなく、近所の悪童たちが大勢とりまいて、見ているのである。――かれらのげらげら笑い囃す声と、身の縮むような恥かしさとで思わず呻きごえをあげ、その呻きごえで眼がさめた。
 眼がさめても笑いごえはやまない。そっと頭をあげてみると、朋輩の女たちが五人明るくした行燈のまわりで、桃を食べながら話したり笑ったりしていた。――むやみに赤い色の寝衣の、裾も胸もあらわにして白粉の剥げた疲れたような顔に、根の崩れた髪の毛がかぶさるのも構わず、口や手指をびしょびしょにしながら桃にかぶりつき、あけすけな言葉で客のしなさだめをしては笑うのである。
 ――なんて楽しそうだろう、このひとたちにはこんな生活が、苦しくも恥かしくもないのだろうか。
 おなつはそっと寝返りをうち、雨水のしみのある壁のほうへ向いて眼をつむった。
「男…

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