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つばくろ
つばくろ
著者山本 周五郎
文字遣い新字新仮名
底本 「山本周五郎全集第二十三巻 雨あがる・竹柏記」 新潮社
1983(昭和58)年11月25日
初出「講談倶楽部 秋の大増刊」大日本雄弁会講談社、1950(昭和25)年9月
入力者特定非営利活動法人はるかぜ
校正者北川松生
公開 / 更新2020-09-12 / 2020-08-29
長さの目安約 45 ページ(500字/頁で計算)
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本文より



 吉良の話しがあまりに突然であり、あまりに思いがけなかったので、紀平高雄にはそれがすぐには実感としてうけとれなかった。
「話したものかどうかちょっと迷ったんだけれど、とにかくほかの事とは違うからね」
 吉良節太郎はつとめて淡白な調子で云った。
「なんでも梅の咲きだす頃からのことらしい、七日おきぐらいに逢っていたというんだが、そんなけぶりを感じたことはなかったのかね」
「まるで気がつかなかった」
「だって七日おきぐらいに外出していたんだぜ」
「願掛けにゆくということは聞いていた、たしか泰昌寺の観音とか云っていたように思うが」
「それが不自然にはみえなかったんだね」
 吉良はこう云ってから、ふと頭を振り、口のなかで独り言のように呟やいた。
「いかにも紀平らしい」
 それは彼が高雄に対してしばしばもらす歎息であった。高雄の弱気に対して、善良さに対して。感動したばあいにも、また咎めるようなときにも、そう歎息することで彼は自分の気持を表現した。高雄は眼を伏せたまま遠慮するようにきいた。
「それで、相手も見たのかね」
「見たよ、森相右衛門の三男だ、知っているだろう、森三之助」
「――と云うと、たしか江戸へいった」
「ゆかなかったんだな江戸へは、現におれがこの眼で見ているんだから」
 そこで吉良はちょっと口をつぐんだ。こちらの話すことが高雄をどんなにいためつけるか、どんな苦しみを与えるかは初めからわかっていた。しかしこんどの事はへたに劬わったり妥協したりしてはいけない。どんなに残酷であっても、傷口のまん中を切開し、腐った部分をきれいに掻き出してしまわなければならない、このばあいは無情になることが彼に対する友情なのだ。こう思いながら、吉良は事務的な口ぶりで云った。
「伊丹亭の者はまだなにも知らない、ほかにも気づいている者はないだろう、いまのうちに片をつけるんだな、狭い土地のことだからこのままいくと必らず誰かの眼につく、そうならないうちに始末をつけるんだ。……おれで役に立つことがあったらなんでもするよ」
 吉良の家を出て暫らく歩くうちに、高雄は躯に不快な違和を感じた。発熱でもしたようで、頭がぼんやりし、膝から下がひどく重かった。
 ――吉良がその眼で見た。
 ぼんやりした頭のなかで絶えずそういう声が聞えた。自分でない誰かほかの者が呟やいてるように、よそよそしい調子で、繰り返し同じ声が聞えるのであった。
 ――吉良が自分でつきとめた。
 ――どうにか始末しなければならない。
 ――だがどうしたらいいのか。
 意識は痺れたように少しも動かなかった。まるで白痴にでもなったように、集中してものを考えることができず、想うことが端からばらばらに崩れ、とりとめのない断片ばかりが、休みなしにからまわりをするだけだった。
 家へ帰って妻の顔をどう見たらいいだろうか。平静でいることができる…

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