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土佐の国柱
とさのくにばしら
作品ID57682
著者山本 周五郎
文字遣い新字新仮名
底本 「山本周五郎全集第十八巻 須磨寺附近・城中の霜」 新潮社
1983(昭和58)年6月25日
初出「読物文庫」1940(昭和15)年4月号
入力者特定非営利活動法人はるかぜ
校正者noriko saito
公開 / 更新2024-05-17 / 2024-05-06
長さの目安約 36 ページ(500字/頁で計算)

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本文より



「高閑さま、召されます」
「…………」
「高閑さま、高閑さま」
 連日のお伽の疲れで、坐ったまま仮睡をしていた高閑斧兵衛は、二度めの呼声ではっと眼をさました。……近習番岡田伊七郎の蒼白い顔が、燭台の火影に揺れて幽鬼のように見えた。斧兵衛は慄然として思わず、
「どうあそばした、御急変か」
 と息を詰めながら訊いた。
「いえ、お上がお召しなされます」
「お召し、ああそうか」
 ほっと溜息をついて、斧兵衛は何度も頷いた。
 土佐守山内一豊は、春からの微恙が次第に重って、初秋と共に愈重態となり、殊にこの四五日はずっと危篤の状態を続けていたので、重臣たちは殆ど城中に詰めきりであった。……中にも高閑斧兵衛は、身分こそ千二百石の侍大将に過ぎなかったが、一豊がまだ猪右衛門といった時代からの随身だし、寵愛殊に篤かったので、傷心のさまは傍の見る眼も痛ましく、もう二十余日というもの、一度も下城せず、寝食を忘れて、万一の恢復を祈っているのであった。
 病間はがらんとしていた。お伽衆も居ず、侍医も女房たちも見えなかった。
「近う、ずっと近う」
「……御免」
「遠慮は無用だ、ずっと近う寄れ」
 一豊は、痩せた手をあげてさし招いた。そして、斧兵衛が云われるままに上段間際まで膝行すると……おち窪んだ眼を静かに向けて、
「今宵は、……其方と悠くり話そうと思ったので、態と一同に遠慮をさせたのだ。其方と差向きで話の出来るのも、恐らく是がしまいであろう。……顔を見せい」
 斧兵衛はすばやく泪を押拭ってから、平伏していた顔をあげた。一豊は暫くのあいだ、昵とそれを見戍っていたが、
「其方もじじいになったな」
 としみ入るような声で云った。
「思えば其方とは長い宿縁であった。主従そろって芋粥を啜った尾張時代から、生き残っているのは其方一人だ。……覚えて居るか、安土の馬寄せの日のことを」
「まことに、昨日の如く覚えまする」
 一豊がまだ木下秀吉の配下であった頃、その妻が鏡筥の中から金拾両を出して、良人に名馬を買わしめた、安土城馬寄せが行われたとき、これが信長の眼に留って、一豊出世の端緒を成した話は有名である。
「あの時分は苦しかったな。……越前攻めの折などは、武具が足りなくて、其方などは竹槍へ渋を塗って持ち居ったぞ。……それが、今ではこうして従四位下の土佐守、二十四万石あまりの主となり、芋粥を啜らせた其方にも、どうやら人並のことがしてやれるようになった。一豊は……果報めでたき生れつきだと思う」
 斧兵衛は声をのんで平伏した。一豊は暫く息をついていたが、
「わしはするだけの事をした」
 と静かに続ける。「もういつ死んでも惜しくはない。唯ひとつ……心残りなのは、わしが不徳であったばかりに、生前、この国の民心を統一することが出来なかったことだ」
「…………」
「これだけが往生の障碍だぞ」
 斧兵衛の肩の震…

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