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艶妖記
えんようき
作品ID57695
副題忍術千一夜 第一話
にんじゅつせんいちや だいいちわ
著者山本 周五郎
文字遣い新字新仮名
底本 「山本周五郎全集第二十巻 晩秋・野分」 新潮社
1983(昭和58)年8月25日
初出「新読物」公友社、1948(昭和23)年2月号
入力者特定非営利活動法人はるかぜ
校正者栗田美恵子
公開 / 更新2022-06-03 / 2022-05-27
長さの目安約 38 ページ(500字/頁で計算)

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本文より



 読者諸君は「にんじゅつ」というものを御存じであろうか。近ごろもろもろの雑誌にしばしば猿飛小説を散見する。筆者は少年のころから専らにんじゅつを愛好しかつ惑溺するあまり、これが史的事業の検覈と究明のため、文献を渉猟し遺跡を踏査して、すでにその蘊奥をきわめているが、その眼をもってこれら一連の猿飛小説をみるに、その小市民的みみっちさとけち臭き合理主義とに憫笑を禁じ得ないのである。ゆえに筆者はにんじゅつの真なる発祥と、その流祖の煙滅に瀕せる事跡を記し、もって世道人心に裨益するところあらんと決心したのである。さらばこれより筆者の蘊蓄を傾注して、この雄大なる物語を始めるといたそう。
 年代については残念ながら傍証を得るに過ぎない、しかしそれは確実に大阪落城以後であり、まぎれもなく江戸幕府に参勤交代制の始まる以前であった。すなわち豊臣氏は覆滅したが、徳川氏の政治は緒についたばかりという、混沌と統一、絶望と希望、平和と不安、秩序と放埓、闇と光明など、相反する条件が社会全般にわたって渦巻き鬩いでいた時代である。――飛騨のくに保良郡吹矢村に(いま郡名村名ともに廃絶しているのは残念である)、八百助という少年がいた。家は玉造りと呼び、父の名は五百助、母の姓氏は伝わっていない。この家は古くから瑪瑙石や瑠璃や琥珀などを玉に磨いたり、細工物にこしらえたりして京へ売り出すのを業としていた。八百助は彼らのひとり息子であるが、なんとしたことか生まれながらの跛で、二つの年に片眼をつぶし、五歳の秋から傴僂になった。母親はつねに嘆いて、
「どうも腑におちない」
 と云い云いした、
「――洞瀬山の曾古津様に祈って身籠った子なのに、こんな躯になるなんてどうしたわけだろう」
 幼な心にも絶えずこれを聞いていた八百助は、七歳になると洞瀬山の曾古津神社へ掛合いにいった。その祠は山の頂上に近い杉の森の中にある、彼は不自由な躯でえちえちとたどり着き、七歳の知恵と七歳の舌と音声とで御神躰に抗議を呈し、その五躰の修正を頼んだ。ところがそれは十月のことで、神という神は出雲の親方の家へ一年の収支決算をするために出掛けた留守だとわかり、十一月になると改めて頼み直しにいった。諸君も御存じのごとく神ほど吝嗇で空耳つかいで無精な独善家はない、曾古津様は出雲の親方から配当でももらったものか小さな祠の中に寝そべったままうんともすんとも答えなかった。以来どれほど懇願にいってもまったく験がない、八百助はそこで氏神を訪ね、さらに一郡の鎮守から稲荷さん八幡殿まで手を延ばした。――そしてやがて父と一緒に京へ上るようになると、往復の道にありとある神社、仏堂から石地蔵にまで渡りをつけた。しかし申し神である曾古津様の失敗を、縁もない神々が責任をもつわけがなく、彼は三つの所有物を持ったままで十五歳を迎えた。その年の冬のある夜のこと、――早く寝床…

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