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三悪人物語
さんあくにんものがたり
作品ID57696
副題忍術千一夜 第二話
にんじゅつせんいちや だいにわ
著者山本 周五郎
文字遣い新字新仮名
底本 「山本周五郎全集第二十巻 晩秋・野分」 新潮社
1983(昭和58)年8月25日
初出「新読物」公友社、1948(昭和23)年5~6月号
入力者特定非営利活動法人はるかぜ
校正者栗田美恵子
公開 / 更新2022-06-11 / 2022-05-27
長さの目安約 59 ページ(500字/頁で計算)

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本文より



 井住のくに佐貝は中世日本における唯一の自由都市であった。永禄四年にキリスト教伝道のため佐貝へ来たヴィレラ師は、「――他の都市が戦乱によって惨害を受けている時、佐貝のみは平和と独立と特権と自由を保持し、共和政治の下に極めて安穏に富み栄えている。その状あたかもベニスのごとくである」と記している。しかり、佐貝は独立自由の市であった、巨万の富を擁し海外より舶載する豊かな物資があり、銃砲製造所もある。そこで勇猛なる戦国諸豪も、佐貝には膝を屈して軍用資材の融通を乞うくらいだった。
 しかし自由とか平和とか独立などというやつは、人類の文化を阻害し毒するものに違いない、なぜならそれは朝顔の花のようにしぼみやすく、美人の容姿のごとくなが続きがしないからだ。佐貝市もその例外ではなかった、やがて叩かれる時が来た。織田信長がごっそり金と物資を運び去り、豊臣秀吉は市の三方にある濠を埋め、会合衆(佐貝の倉庫業者で共和自治体の司政官)らを強制的に大阪へ移住させた。慶長十九年には大阪冬の陣で東西両軍の争奪地となり、夏の陣ですっからかんに焼き払われた。掛値なしの焦土となって徳川氏に直轄され、「佐貝政所」なる代官制が布かれた。――南欧ベニスに比せられたる佐貝の「自由都市」たる性格も、歴史の法則にしたがってかく解体され、淘汰の石車によってきれいに地均しをされた結果、単なる幕府の代官所在地となり終わったのである。
 焼野となって五年、埋められた濠も復活され、地割りも出来、家もだいぶ建った。佐貝は西が海に面し、三方に濠がある。外と往来するにはこの濠に架した橋によるほかはない、橋には番人小屋があって、禁制品の密交易を厳しく監視する、非常に厳重だから注意が願いたい。――南北に延びている町のほぼ中央、殿馬場という所に「佐貝政所奉行役所」が建っている、与力同心の住宅もある、北と南の広小路には、富裕な商人や倉庫業者たちの家倉土蔵、問屋、商舖などが建ち、海に面した大丁浜には廻漕倉庫が並んでいる。またそこここに寺院の大屋根が五つも見えるが、……庶民どもの住宅街はまるでひどい、乞食部落というより焼け木杭と繩蓆をつくねた感じである。もちろんまだ焼跡のまま空いている地面がいたるところにあって、そこにはより貧しい人たちの小屋が散在している。辻という辻には高札が立ち、そこにはこんな定書が貼出してある。

一、米一日一人につき一合の事。
一、酒、菓子、煙草かたく禁止の事。
一、味噌、醤油、塩は時触れに従うべき事。
一、衣類、家具什器等、新調すべからざる事。
一、夜間にも燈火を禁止の事。

 以上はおもなもので、他にも三十余カ条にわたる禁令法度が列記されている。「魚は二十日にいちど」「野菜は十日に一人五匁」「草履は足半」「帯は三尺」などの類で、犯す者は屹度申付くべしとある。つまりここでは生活を雁字搦めにして、手枷、足枷…

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