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抜打ち獅子兵衛
ぬきうちししべえ
作品ID57698
著者山本 周五郎
文字遣い新字新仮名
底本 「山本周五郎全集第十八巻 須磨寺附近・城中の霜」 新潮社
1983(昭和58)年6月25日
初出「講談雑誌」大日本雄辯會講談社、1940(昭和15)年2月号
入力者特定非営利活動法人はるかぜ
校正者noriko saito
公開 / 更新2024-07-20 / 2024-07-14
長さの目安約 25 ページ(500字/頁で計算)

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本文より



賭け勝負(木剣真剣望み次第)
 試合は一本
 申込みは金一枚
 うち勝つ者には金十枚呈上
 中国浪人天下無敵  ぬきうち獅子兵衛
 横二尺に縦五尺ほどの杉板へ、墨も黒々と筆太に書いた高札が立っている。
 時は寛永十九年二月。
 場所は江戸両国橋広小路。
 大江戸が将軍家お膝下の都市として、その面目と繁昌とを完全に整えたのは元禄以後であるという。だから寛永年間にはまだ建設の途上にあったことになるが、それでも両国橋付近は有名な盛り場で、人馬旅客の往来は絶えず、旅館、茶店、見世物小屋などが軒を並べ棟を列ねて賑わっていた。
 その広小路のまん中へ、
 ――天下無敵。
 という高札を立てたのだから、ことだ。
 御入国以来、こういう高札の立つことは三度や五度ではない、多くは出世の機会を得ようとする剣術者であるが、中には、奇計を設けて金儲けを目的にする者もあって殺伐な気風の抜けない当時の市民たちに、折々の好話題を与えていた。
 しかし、それらの人々は、お膝下を騒がすという点を遠慮して、たいてい御府内でもはずれに近い場所を選んでいたし、人柄も多くは魁偉な、いかにも武術者らしい風格の者であった。……それが、今度は大胆にも江戸のまん中ともいうべき両国広小路であるし当人というのが躯つきこそ逞しく堂々としているが、年も若く、色白で眉の濃いなかなかの美丈夫だったから、その人気たるやすばらしいものであった。
 しかも恐ろしく強い。
 高札が立ってから十日のあいだ、評判を聞いて試合を挑みにきた者の数は、武家や町人を加えて五十人をはるかに越えているが、まだかつていちども勝った者がない。勝たないばかりではなくて、たいていは身構えするかしないという暇に、打ち込まれてしまうのである。
 ――ぬきうち獅子兵衛。
 おそらく偽名であろうが『ぬきうち』という点だけはまさに偽のないところであった。
 彼は今日五人まで勝って、いま床几に腰を掛けたまま、脇に置いた樽から悠然と柄杓で酒を呷りつけていた。……方四間ほどに縄を張った周囲は、黒山のような見物人の垣で、向うの見世物小屋でやけに囃したてる人寄せの三味線太鼓が、いたずらに大川の鴎たちを驚かしているのは皮肉であった。
 午さがり、三時頃のことである。
「道をあけい、通る者じゃ」
 そう云いながら、人垣を押分けて一人の武士が進み出てきた。編笠を冠っているから人品年頃は分らないが、衣服も大小も立派な、いずれ相当な身分と思われる人柄である。
 獅子兵衛は床几に掛けたまま、
「勝負をお望みなさるか」
 と声を掛けた。
 相手は縄張の中へ入ると、笠の前を少しあげながら返事もせずにしばらく佇んでいたがやがて、静かな声で、
「いや、……勝負は望み申さぬ」
 と答え、くるりと踵を返して、ふたたび人垣のなかへ戻ってしまった。
 鳴を鎮めていた見物人たちは、この有様を見…

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