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花宵
はなよい
作品ID57701
著者山本 周五郎
文字遣い新字新仮名
底本 「山本周五郎全集第十九巻 蕭々十三年・水戸梅譜」 新潮社
1983(昭和58)年10月25日
初出「少女の友」1942(昭和17)年4月号
入力者特定非営利活動法人はるかぜ
校正者北川松生
公開 / 更新2024-12-19 / 2024-12-11
長さの目安約 19 ページ(500字/頁で計算)

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本文より



 清之助のきよがき(お清書)をつくづくと見ていた母親のいねは、しずかに押し戻してやりながら、
「よくおできでした」
 とやさしく云った。
「あなたの字はのびのびとしていて、見ていると心がすがすがしくなります。けれど、もう少し丁寧にお書きなさるともっとみごとになると思います。……このつぎは是よりお上手なのを見せて戴きましょうね」
「はい」
 清之助はあっさりとおじぎをした。弟の英三郎はそれを待ち兼ねたように、自分のきよがきを母のほうへさしだした。
 ――今日こそ褒めて戴けるぞ。
 お師匠さまのところから帰る道みちそう思いつづけて来たのであった。なぜなら、兄のものには点がないけれども、かれのものには点が二つついていたからである。そのお師匠さまが二つ点をつけるなどということはまったくめずらしいことであった。
 ――今日こそ兄上に勝てるんだ。
 そう思いながら英三郎は自慢そうにちらちらと兄のほうを眼の隅で見た。清之助は知らぬ顔で庭を見ていた。
「よいお点を戴いておいででした」
 いねはよくよく文字を見てから云った。
「お点はよいと思いますけれど、母にはおまえの字はよいとは思えません。いつも云うとおり、おまえは兄さまの字をよく拝見して、もっともっと勉強しなければいけないと思います」
「…………」
「英三郎、おわかりですか」
 母のこえはきつかった。今日こそ褒めて貰えると信じていた英三郎は、思いのほかの言葉に胸がいっぱいになり、ちょっと返辞もできなかったが、母のきつい声を聞いてようやくそこへ手をつきながら「はい」と答えた。そして兄のあとから廊下へ出るとすばやく指で眼をぬぐった。清之助はいばって肩を張り、自分たちの部屋へはいるとき、
「えへん、ぷい」
 と云った。英三郎は黙って自分の机の前へいって坐った。
「英三郎、山へ行かないのか」
「行きません」
「どうしてさ、行くと約束したじゃないか」
 英三郎はきよがきを二つに折って抽出へしまい、本箱の中から手に当った書物をとりだして机の上にひろげた。清之助はずかずかとそばへ寄って来て弟の肩を押した。
「武士の子が約束をやぶるという法はないぞ、さあいっしょに行こう」
「いやです」
「なぜいやなんだ」
「勉強するんです」
 英三郎はひろげた書物の上へかぶさるようにしながら云った。
「母上が勉強しろとおっしゃったんですから、だからわたくしは勉強するんです」
「それなら帰ってからだっていいじゃないか。勉強の時間はきまっているのに今日だけそんなことを云うのはへそまがりだぞ」
「だって母上が……」
「英三郎」
 ふいに廊下で母親の声がした、兄弟はびっくりして振り返った、母親は障子のそとに立ちどまったまま、
「兄さまが行こうとお云いなさるのになぜ行かないのです、母はいますぐ勉強をなさいとは申しません、行っておいでなさい」
「お許しがでた…

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