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蛮人
ばんじん
作品ID57704
著者山本 周五郎
文字遣い新字新仮名
底本 「山本周五郎全集第十八巻 須磨寺附近・城中の霜」 新潮社
1983(昭和58)年6月25日
初出「アサヒグラフ」1936(昭和11)年8月12日号
入力者特定非営利活動法人はるかぜ
校正者noriko saito
公開 / 更新2022-10-09 / 2022-09-26
長さの目安約 14 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 貝殻を焼いて石灰をつくる工場が中堀から荒地へ出はずれたところにあった。
 建物は百坪ばかりの高い二階建でもうすっかり古び、羽目板はみんなひどく乾割れているし、外側から二階へ通ずる段無しの足場も危なかしく朽ちていた。そして屋根から下どこもかしこも白い番瀝青で塗りつぶしたように灰まみれで、高いところにある小窓やそこここの隙間からは、絶えず濃霧のような灰煙が溢れ出で、それが建物を中心にたち舞っているところは、まるで凄じい吹雪のなかに取残された廃屋のように見える。
 工場の前は荒地へ続く道を隔てて河になっている、堤から埋立がつき出ていて貝殻の山が類別に積まれてある、その端のほうに石炭の山があり、また荒薪や松の枯枝といった燃料が防風壁のように積重ねてある、これらがすべて灰まみれだ、そればかりではない建物のほとんど一丁四方ほどは、道も雑草もみんな死灰にまみれ、それが日光の下でひどく匂っている、稀塩酸を朽木に滲ませたように噎せっぽい酸い匂いだ。近くへ寄ってみるとごく微小な霧粒のようなものがちりちりと舞いながら落ちてくるのが見える。
 工場の中では七人の労働者が働いている、彼らは裸である、わずかに恥部を三角巾で隠しているだけだ。それから頭髪を剃りつけている。まるで囚徒のようにくりくり坊主に剃っている、日にやけた赤銅色の逞しい体はすっかり灰まみれだ、眉のなかまで緻密に灰が忍びこんでいるのであたかもマスクのようにぶきみな無表情な顔つきをしている、――肉の盛上った肩の上にあるこの坊主頭は、見る者の心をぞっとさせるほど野蛮な感じであった。
 彼らのうち四人は男で、あとの三人は彼らのなかの妻たちであった(男の一人は独身であったから)。彼女たちも同じように裸である、髪も刈り込んでいる、もしもその大きく張出た乳房や運動につれて豊かに揺れ動く腰の肉付がなかったならば、ほとんど男たちと見分けつかぬようすである。恥部を蔽っている三角巾もけっして男のものより広くはなかった。
 トルコの風呂の中へはいったような、濃密な灰煙のいっぱい立こめている建物の内部で、この灰まみれの蛮人たちは鈍重に黙々と動き廻っている、高い天床から吊下げられた電燈が灰の噴霧のゆれるたびにぼんやりと明暗をつくる――かがんだ背中だの振り上げた腕の筋肉の隆起がゆれかえる霧の中に見えたり隠れたりする、みんな黙っている、誰も彼も石のように黙っている、懲役人のようにむっつりとして重苦しく焜炉の焚口を覗いたり屑灰を掻き出したりしている、絶対に沈黙の労働なのだ、口を利けば遠慮もなく灰屑がとびこんでくるから……。
 こんな環境にあっては人たちの感情が黙しひしがれ歪められるのは避けがたいことだ。彼らの感覚は内部へ内部へと逐いこまれる。それでなくてさえ肉体のあらゆる表面が灰に蔽われているので眼配せをすることさえできない、意志を伝えるには大きなひ…

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