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鉢の木
はちのき
作品ID57706
著者山本 周五郎
文字遣い新字新仮名
底本 「山本周五郎全集第十九巻 蕭々十三年・水戸梅譜」 新潮社
1983(昭和58)年10月25日
初出「講談雑誌」博文館、1944(昭和19)年6月号
入力者特定非営利活動法人はるかぜ
校正者北川松生
公開 / 更新2024-11-26 / 2024-11-24
長さの目安約 27 ページ(500字/頁で計算)

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本文より



 そのような運命が一夜のうちにめぐって来ようとは思いも及ばぬことであった。もしも半日まえにそう予言する者があったとしても、おそらくかれは一笑に付してかえりみなかったに違いない、すべての事情がそれほどゆきづまり、心は絶望におちていたのである。……その運命の時からちょうど半日まえ、四郎兵衛は藪下の家で賃取りの箭竹つくりをしていた。家といっても柱は歪み壁は落ち、床も框も朽ち腐ったようなむざんなありさまで、どんなに貧しい農夫でも住む気にはなれそうもないものだった。村の人たちが藪下と呼んでいるとおり、まわりは叢林と藪でかこまれているうえに西がわから南を丘で塞がれているため、少し日が傾くと家の中は黄昏のように暗くなる。裏には丘の根からひいた筧があって絶えず潺涓の音をたてていたし、春になると横手にある辛夷の花が窓から散りこみ、また四季を通じて破れた板庇から月がさしこんでくる、けれどもそういうものを風雅だと思うには心のゆとりが無さすぎた。朝夕の炊ぎの代に窮するというだけではない、寐ても覚めても、かた時も忘れがたい苦しい想いが心をとらえて放さないのである。――こうしてなにを待っているんだ、そのときもかれはおなじ自問自答を繰り返していた。なにを待っているんだ、このとおりすべてがゆきづまり、あらゆる期待が絶望だとわかっているのに、どうしてこのみじめな生命に区切りをつけないんだ。幾たび繰り返してもおなじところへおちるにきまっていて、しかも絶えず頭を去らない苦しい想いだった、ついには堪えられなくなって、手にした小刀を措き惘然と外へ眼をそらした。そこへ道のほうから妹がはいって来た、……家の中はもうかた明りで暗かったが、戸外は黄昏まえの鮮やかな光りが漲っていて、はいって来る萩尾の姿をあやしいほど美しく描きだしてみせた。
「唯今もどりました……」萩尾は兄の眼に気づいてそっと微笑しながら会釈をした、四郎兵衛はわれ知らず「ちょっとそこに立っていてごらん」と呼びかけた。萩尾はなにごとかという風に立ちどまった、光りのためだけではなく萩尾は美しかった、四郎兵衛はまるで初めて見るような眼つきで妹の姿を眺めやった。着ている帷子は洗い晒してもう地色もよくはわからない、帯はいろいろの布切を継ぎ合せたものだ、油もつけない髪はむぞうさに結んで背に垂れている、どこに一つ年頃のむすめらしい彩りもなく、あわれなほども貧しいなりかたちなのに、やわらかく緊った頬や、ふっくりと二重にくくれた顎や、なめらかにすんなりと伸びた手足の膚は、溶けてしまいそうなほど匂やかに艶つやしい、三年にわたる貧窮の暮しも、萠えいでる若い命は抑えることができなかった、現在の身の上が暗澹たるものであるだけなおさら、花期をあやまたぬいのちのふしぎさが四郎兵衛の眼を瞠らせたのであった。「……そのようにごらんあそばしてはいやでございます」萩尾は羞か…

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