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半之助祝言
はんのすけしゅうげん
作品ID57707
著者山本 周五郎
文字遣い新字新仮名
底本 「山本周五郎全集第二十三巻 雨あがる・竹柏記」 新潮社
1983(昭和58)年11月25日
初出「キング」大日本雄辯會講談社、1951(昭和26)年7月
入力者特定非営利活動法人はるかぜ
校正者北川松生
公開 / 更新2021-01-01 / 2020-12-27
長さの目安約 45 ページ(500字/頁で計算)

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本文より



 折岩半之助が江戸から着任した。
 その日、立原平助が桃の咲きはじめたのを見た。次席家老の前田甚内の家の桃である。平助はそれについて次のような感想を述べた。
「南枝一輪、桃などもそう云っていいものかどうか、ともかく南面の枝に三つ四つ、ふっくらと咲いていたよ、こんなふうにさ」
 彼は両手でそんなふうな恰好をしてみせた。
「――私は思わずどきりとしたね」
 そこで葵太市が訊いた。
「桃が咲いてなぜどきりとするんだ」
「一種の前兆、といったものかどうか、なにかしら起る、これは単に桃が咲いたというだけのものじゃない、吉か凶かわからないけれどもとにかくなにか起る、こうしてはいられない、といった感じだねえ」
 葵太市はそうかねえと云った。ほかの者は聞いてもいなかった。
 着任した折岩半之助を見て、重役の人々はその若いのに驚いた。
 この異動には相当むずかしい重要な使命がある。経験に富み、老巧にして円滑、才気縦横、大胆不敵といった人材でなければならない。それには半之助はいかにも若すぎた、二十六だというが二十二三にしかみえない。背丈は五尺六七寸、まる顔でおちょぼ口で、梟のような眼をしている。人品はなかなかである。しかしどう値ぶみをしても、世間知らずで気立てのよい坊ちゃん、ぐらいにしかふめなかった。
「どうですかなこれは、どんなものですかな」
「さよう、どんなものでしょうか」
 前田甚内はじめ重役たちは首をひねった。念のために「使命」の点をたしかめると、
「ええ知っています」
 彼はあっさり頷いた。あんまりあっさりしているので、それ以上なにも訊く隙がなかった。もちろんそれで安心したわけではないが、藩主の任命でもあるし、とりあえず住居を与え、実情査察のため半月の休暇を出した。
 着任して五日めに、玄武社の幹部たちが、折岩半之助を招いて会食した。
 玄武社は青年たちの自主的結社であって、十七カ条にわたるいさましい盟約があり、裄丈を一般より三寸短く裁縫した衣類を着るのと、頬髯をたくわえるのとで眼立つ存在だった。社中は三十七人、没頭弥九郎という剣術のうまい、頬髯の誰よりみごとな男がその指導者で、彼は「社長」と呼ばれた。
 会食の席には没頭社長のほかに五人出席した。久保大六、葵太市、野口、仲木。そして、桃の花になにかの前兆を感じた立原平助。つまり玄武社の幹部である。
 酒ぬきの、ごく質素な食膳を見たとき、折岩半之助はいやな顔をした。それは躾けの悪い喰べざかりの子供が、嫌いな物を出されたときの表情によく似ていた。没頭社長は予期していたとみえ、あだ黒いようなその飯に向って箸を突込みながら、
「私どもは剛健の気を昂奮させるために、日常こういう食事をしておるですが、江戸などではどんなあんばいですかな」
 こう云って、なるほど剛健の気に昂奮しているような眼をした。その飯は麦六、稗二、もろこ…

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