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作品ID | 57712 |
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著者 | 山本 周五郎 Ⓦ |
文字遣い | 新字新仮名 |
底本 |
「山本周五郎全集第二十八巻 ちいさこべ・落葉の隣り」 新潮社 1982(昭和57)年10月25日 |
初出 | 「講談倶楽部」1958(昭和33)年1月 |
入力者 | 特定非営利活動法人はるかぜ |
校正者 | 栗田美恵子 |
公開 / 更新 | 2021-03-28 / 2021-02-26 |
長さの目安 | 約 37 ページ(500字/頁で計算) |
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一
本所石原町の大川端で、二人の男が話しこんでいた。すぐ向うに渡し場があり、対岸の浅草みよし町とのあいだを、二はいの渡し舟が往き来しており、乗る客やおりる客の絶えまがないため、河岸に二人の男がしゃがんだまま話していても、かくべつ人の注意をひくようすはなかった。――十一月の下旬、暖たかかった一日の昏れがたで、大川の水面はまだ明るく、刃物のような冷たい色に波立っているが、みよし町の河岸に並んだ家並は暗く、ぽつぽつと灯のつき始めるのが見えた。
男の一人は小柄で痩せていた。女に好かれそうな、ほっそりした柔和な顔だちで、なめらかな頬と、赤くて小さな唇が眼立ってみえた。他の一人は背丈が高く、骨太で肉の厚い躯つきや、よく動くするどい眼や、ときどき唇をぐいと一方へ歪める癖などに、ありきたりではあるが陰気で残忍そうな感じがあらわれていた。年はどちらも三十四五であろう、二人とも黒っぽい紬縞の素袷を着、痩せた男のほうは唐桟縞の半纒をはおっていた。
「すみのやつは手が早えからな」と痩せた男が云った、「あいつの手の早いのにかなう者あねえだろうな」
「すみは手も早えが端唄もうめえ」と大きいほうの男が云った。ぶっきらぼうな、苛いらしたような口ぶりだった、「まるっきりでもねえが、端唄をうたってるときのすみのやつは人間が変ったようになる、おらあすみのうたうのを聞くのが好きだ」
痩せた男が喉で笑った。人をこばかにするというよりも、可笑しくてたまらないといったふうな笑いかたであった。
「あいつの端唄には泣かされるぜ」
「どうして笑うんだ」と大きいほうの男が云った。唇が片方へ曲り、眼の奥で火がちかちかするようにみえた、「すみの端唄のどこが可笑しいんだ」
「おちつけよ、人が立つぜ」と痩せた男が云った。彼はその伴れのほうへは眼も向けず、しゃがんだまま、地面から小石を五つ拾い、それを片手で握って振っては、ぱらっと地面に投げ、また拾い集めて、握って振っては投げる、という動作をくり返していた。
大きいほうの男はそれを横眼に睨んでいて、それから立ちあがり、着物の裾を手ではたいた。痩せた男はぐいと顔をそむけた。砂埃でもよけるような、神経質な身ぶりであった。
「おい」と痩せた男が云った、「もういいじぶんだぜ、なにを待ってるんだ」
「すみに云っておきたいことがあるんだ」
痩せた男はしゃがんだまま、首だけねじ向けて伴れを見あげた、「どうせいっしょに旅へ出るんだ、云いたいことを云う暇はたっぷりあるぜ」
「いっしょに旅ができればな」
「おちつけよ」と痩せた男が云った、「なにをそう気に病むんだ、手順はちゃんとできてる、万事うまくはこんでるんだぜ」
「木は伐ってみなくちゃあわからねえさ」
「なにがわからねえんだ」
大きいほうの男はちょっと黙って、それから不安そうに云った、「見つきは大黒柱になりそうな木でも、伐っ…