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風流太平記
ふうりゅうたいへいき
著者山本 周五郎
文字遣い新字新仮名
底本 「山本周五郎全集第六巻 風流太平記」 新潮社
1983(昭和58)年5月25日
初出「四国新聞」1952(昭和27)年12月12日~1953(昭和28)年7月13日
入力者特定非営利活動法人はるかぜ
校正者北川松生
公開 / 更新2021-01-01 / 2020-12-27
長さの目安約 505 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

変事





 九月中旬のある晴れた日の午後。
 芝新網にある紀州家の浜屋敷の門前へ、一人の旅装の若者が来て立った。長い旅をつづけて来たものとみえ、肩へかけた旅嚢も、着ている物も、すべて汗じみ、埃まみれであるが、笠をぬいだところを見ると、いま洗面したばかりのように、さっぱりと冴えた顔つきをしていた。
 眼鼻だちはきりっとして、ちょっと強情らしく、きかない性質のようであるが、やや尻下りの眼や、口尻の切れあがった唇のあたりに、人をひきつける一種の魅力があった。背丈は五寸[#「背丈は五寸」はママ]たっぷり、中肉でひき緊った、敏捷そうないい躯であった。
 彼は笠をぬいで、門番小屋のほうへ近づいていった。
 そのとき、向うの町角から、一人の少年がこちらを覗いた。どうやら彼のあとを跟けて来たものらしい。若侍が番小屋に近づくと、さりげないそぶりでこっちへ出て来た。年は九つか十であろう。古びためくら縞の、綻びだらけの袷に三尺をしめ、摺り切れたわら草履をはいている。色が黒く、眼がまるく、いかにも「悪童」といった感じであった。
 少年はゆっくりと、門の前を通りぬけた。それは、若侍と門番の話を聞くためのようであった。そのまるい眼がすばやく左右に動いていた。
「紀州さまお浜屋敷でございますな」
 と若侍は門番に云った。
「甲野殿を訪ねてまいった者ですが、通って宜しゅうございますか」
「失礼ですが御姓名をどうぞ」
 老人の番士がもの憂げに云った。
「長崎からまいった花田万三郎という者です、休之助の弟で、手紙が届いている筈です」
「すると、――」
 老番士の顔が驚きのために緊張した。
「するとお手前さまは、甲野休之助殿をお訪ねでございますか」
「そうです」
「それはそれは」
 老番士は声をはずませた。すぐにはあとが続かないらしく、痩せた頸の大きな喉ぼとけを二三度も上下させた。
「こうのと仰しゃったので、ほかのこうのさまかと思いましたが、甲野休之助さまだとすると非常にお気の毒でございます」
「甲野がどうかしたのですか」
「ゆうべ自火をお出しなさいましてな、夜半の、さよう子ノ刻半(一時)ごろでございましたろうか」
「自火というのは火事ですか」
 若侍はじれったそうに訊き返した。
「さよう、とつぜんの出火で」
 老番士は舌っ足らずな口ぶりで続けた。
「まったくとつぜんの出火で、それもたいそう火のまわりが早かったものですから、人が出てみたときは貴方もう、屋根が焼けぬけておりましてな、まるでもう手のつけられないありさまでして」
 若侍は辛抱ができなくなったらしい。
「それでいったい家人はどうしたのですか」
「つまり、お気の毒と申すのはそのことでございますが、御一家ぜんぶ御焼死なさいましたようで――」
 若侍はあっと口をあけた。



「な、なんですって」
 花田万三郎という若侍は吃って云っ…

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