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ひやめし物語
ひやめしものがたり
作品ID57719
著者山本 周五郎
文字遣い新字新仮名
底本 「山本周五郎全集第二十巻 晩秋・野分」 新潮社
1983(昭和58)年8月25日
初出「講談雑誌」博文館、1947(昭和22)年4月号
入力者特定非営利活動法人はるかぜ
校正者栗田美恵子
公開 / 更新2022-01-26 / 2021-12-27
長さの目安約 33 ページ(500字/頁で計算)

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本文より



 大四郎は一日のうち少なくとも二度は母の部屋へはいってゆく、「お母さんなにかありませんか」と、云うことは定っている。云わないで黙っているときもある。ながいあいだの習慣だから母親の椙女は、彼がそう云おうと黙っていようと、茶箪笥のほうへ振返って、「上の戸納をあけてごらんなさい、鉢の中に飴があった筈ですよ」と云う、菓仙の饅頭や笹餅のこともあるし、茶平の羊羹のこともあるが、たいていは黒い飴玉だ、彼は欲しいだけ皿に取って自分の部屋へ帰り、うまそうにしゃぶりながら古本いじりをやる。
 大四郎は、柴山家の四男坊である。父の又左衛門は数年まえに死に、長兄が襲名して家を継いでいる。次兄の粂之助は家禄三百石の内から五十石貰って分家し、三兄の又三郎は中村参六へ養子にはいった。中村は新番組の百九十石で、なかなか羽振りのいい家である。……大四郎は二十六歳になるが、いわゆる部屋住で兄の厄介者だ、思わしい養子の話もないし、次兄が五十石持っていったので家禄を分けて貰うわけにもいかない。縁が無ければ、一生冷飯で終るより仕方がないのである。裕福でない武家の二男以下はみなそうだし、これはなんともいぶせき運命であるが、大四郎はかくべつ苦にしていないようだ。彼に限らずいったい柴山の家族は暢気者ぞろいで、誰も四男坊に就いて積極的に心配するようすがない、「そのうちなんとかなるさ」くらいの、ごく軽い気持でなりゆきに任せていた。
 然し大四郎も、自分のいぶせき運命に気づく時が来た、彼は或る佳人をみそめたのである。名も住居も知らないし、そう美しいというわけでもないが、どうしようもないほど好きになってしまった。……彼は月づきの小遣を溜めて古本を購うのが道楽だった。百万石の城下でもそのころ古本屋などはない、藩侯がひじょうに学芸を奨励していたため、江戸、大阪、京都などの書肆の出店が五軒ほどある、それらで古書を扱っていたし、古道具屋などでもときに奇覯の書をみつけることが無くはない、臨慶史とか歳令要典とか、太平記人物考とか改元記などという史書は、彼の蔵書の中でも珍重に価するものであるが、これらはみな古道具屋のがらくたの中からみつけだしたものだ。買って来る書物はたいてい傷んでいる、頁が千切れたり、端が捲れたり、綴糸がほつれたり表紙が破れたり、題簽の無いものなども少なくない、それを丹念に直して、好みの装幀をして、新しい題簽を貼って、さいごに艸雨堂蔵という自分の蔵書印を捺すのだが、これがまた云いようもなく楽しい仕事で、かかっているあいだはまったく我を忘れるくらいだった。
 佳人をみそめたのは、その道楽の古本あさりをする途上のことだ。片町通りの古道具店を出て歩きだすとすぐ、香林坊のほうからその人が来た。すれ違うときこちらを見て、ぱちぱちと三つばかり目叩きをした、利巧そうな、はっきりした眼つきで、目叩きをした瞬間なにか眸子…

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