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百足ちがい
ひゃくあしちがい |
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作品ID | 57720 |
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著者 | 山本 周五郎 Ⓦ |
文字遣い | 新字新仮名 |
底本 |
「山本周五郎全集第二十三巻 雨あがる・竹柏記」 新潮社 1983(昭和58)年11月25日 |
初出 | 「キング」大日本雄辯會講談社、1950(昭和25)年8月 |
入力者 | 特定非営利活動法人はるかぜ |
校正者 | 北川松生 |
公開 / 更新 | 2020-09-30 / 2020-08-28 |
長さの目安 | 約 58 ページ(500字/頁で計算) |
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一
江戸の上邸へ着任した秋成又四郎は、その当座かなり迷惑なおもいをさせられた。
用もないのにいろいろな人が話しかける。役部屋にいると覗きに来る者がある。御殿の出仕にも退出にも、歩いていると通りすがりの者が、すれちがいざま同伴者に、
「あれだあれだ、あれだよ、百足ちがい」
などと囁く。するとその同伴者が、
「あれかい、へえ、そうかい、あんな男が」
などというのが聞えるのである。
また彼は勘調所出仕であるが、それとはまったく関係のない役所の、奉行とか、元締とか、頭取などという人たちによく呼ばれた。べっして用事があるわけではない、見るような見ないような、さりげない妙な眼つきでこちらを眺めまわし、
「国許のほうはどういうぐあいのものか、そこは種々となにもあるだろうが、自分もいちどはいってみたいと思うが、どんなものか」
まるで愚にもつかないような質問をして、それからなにやら一家言めいたことを述べて、ではまた、などというのが終りであった。
勘調所は老職総務部に属し、政治の監査と、藩主の諮問機関を兼ねている。又四郎はその記録係の責任者であるが、五人いる下僚たちからも、当分のあいだ悩まされた。かれらはそれほどひねくれた人間ではないらしいが、下僚根性は多分にあった。又四郎がなにか命ずると、実に巧みにわからないふうをよそおう。
「はあ、どれそれを、……はあ、なんですか」こんなぐあいにきき返す、なんどもきき返し、お互い同志で眼を見交わし、首を捻り、またきき返して、ようやくわかると、
「ああそうですか、そういうことですか、それでわかりました」
そしてなあんだという顔をするのであった。
総務部では五日に一回ずつ重臣の寄合がある、これは定例の茶話会のようなもので、年度更りとか、なにか重要な懸案のない限り、雑談をして二時間ばかりで解散になるが、そのときは勘調所の各課から、司書と呼ばれる責任者が出てそれに加わる。……ただ陪席するだけで、たいていおえら方のつまらない座談を聞くばかりだが、ここでも又四郎はずいぶん辛抱しなければならなかった。
重臣たちの多くは、四十から六十くらいの甲羅をへた連中で、みんなかなりあつかましい。それらが多かれ少なかれ又四郎に興味をもっているらしく、まことに益もないことを話しかける。
「おまえのことは知っておる、うん、又四郎か、なかなか人物だということだが、慢心はいかんぞ、人間万事慢心はよくない、だがまあ、なんだ、うん、遊びにまいれ」
「ひとつ精を出すんじゃな、はっはっは、国許と江戸とは違うて、江戸というものは、そこは一概にはいえないけれども、これを要するに国許とは格別なもんじゃ、論より証拠、江戸は天下のお膝元じゃ、はっはっは」
そしてしまいには遊びにまいれという。中島仲左衛門、倉重六郎兵衛、梅永千助、巨井内蔵助などという人々が、なかでも「なに…