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蕗問答
ふきもんどう
作品ID57721
著者山本 周五郎
文字遣い新字新仮名
底本 「山本周五郎全集第十八巻 須磨寺附近・城中の霜」 新潮社
1983(昭和58)年6月25日
初出「冨士」大日本雄辯會講談社、1940(昭和15)年7月号
入力者特定非営利活動法人はるかぜ
校正者noriko saito
公開 / 更新2022-09-22 / 2022-08-27
長さの目安約 15 ページ(500字/頁で計算)

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本文より



 寒森新九郎は秋田藩士である。
 食禄は八百石あまりだが佐竹では由緒のある家柄で、代々年寄役として重きをなしていた。年寄役とは顧問官のようなもので、閑職ではあるが重臣だけが選ばれる顕要な地位である。彼は二十五歳で父亡き跡を襲い、以来五年のあいだ主として筆頭の席を占めてきた。
 役目の性質として常に藩政の鑑査に当るのは勿論だし、時には主君の命令をも否決する立場に立たなければならぬ事がある。大概に云っても憎まれ役なのだが、新九郎は筆頭としてその矢表に立ちながら、極めて明敏にその役目を処理してきた。
 こう云うと如何にも円満な、そして才気縦横の人物に思えるが、実はそうでなく、強情で圭角が多く、おまけに健忘家だというのだから不思議である。それでいてその要職を立派に勤め得たのは、単なる明敏な才腕があったというのではなくて、恐らくそういう性格の欠点までが役立つところの、特異な人徳を持っていたに違いあるまい。
 健忘家と云っても彼の物忘れをすることはずばぬけたもので、――忘れ寒森。
 と云われるほど有名なものであった。
 安永六年五月はじめの一日。
 当時江戸に在った佐竹義敦から、早馬の使者が秋田へ到着した。……江戸表からの早馬とあって老職がすぐに対面すると、
 ――秋田蕗の最も大きなものを十本、葉付きのまま至急に取集めて送れ。
 という墨付の上意であった。
 早馬を立てての急使にしては余りに意外な用向なので、使者にその理由を訊ねると次のような事実が分った。
 江戸城へは諸国の大名が集るので、よくお国自慢が披露される、なにしろ交通不便な時代ではあるし、北は蝦夷の福山から南は九州薩摩にわたる広汎な顔触れなので、いちどお国自慢が始まるとずいぶん珍しい話が多い。……義敦はそういう席で国産の蕗の話を持出した。
 周知の如く秋田の蕗はその最も大きなものになると茎の太さ二尺周り、全長一丈を越えるというほどである。これはいきなり話されても信じられないのが当然で、
 ――秋田侯が程もあろうに。
 と一座の諸侯にてんから笑殺されてしまった。
 義敦としては嘘を云った訳ではないので、非常な侮辱を感じながら下城すると、すぐに国許へ使者を差立てたのである。……つまり実物を見せて嘲笑した人々に謝らせようという訳だ。
 仔細を聞いた老職たちは、主君の恥辱を雪ぐ大切な事柄なので、すぐに八方へ人を遣り、特に大きなのを集めたうえ更にその中から選って十本、江戸まで充分に生気を保つように荷造りをして送り出したのである。
 新九郎はその時能代地方を巡視していて留守であったが、帰ってきてその事情を聞くと、
「それは怪しからぬ」
 と眼を剥いた。
 彼は額の広い顎の張った、鼻も口も大きく、それぞれがおしなべてゆったりとあぐらをかいているという顔だちであったが、その眼は殊に偉大なるもので、怒ったときなどは実に吃…

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