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枡落し
ますおとし
作品ID57744
著者山本 周五郎
文字遣い新字新仮名
底本 「山本周五郎全集第十六巻 さぶ・おごそかな渇き」 新潮社
1981(昭和56)年12月25日
入力者特定非営利活動法人はるかぜ
校正者北川松生
公開 / 更新2022-02-14 / 2022-01-28
長さの目安約 69 ページ(500字/頁で計算)

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本文より



 ――ねえ、死にましょうよ、とおうめが思いつめたように云った。二人でいっしょに死にましょうよ、ねえ、おっ母さん。
 表通りから笛や鉦や太鼓の、賑やかな祭囃しが聞えてきた。下谷御徒町の裏にいたときで、秋祭の始まった晩のことだった。
 ――あたし独りで死ぬのは怖いの、ねえ、おっ母さんもいっしょに死んで。
 あのお囃しは備前さまのお屋敷の、こっちの角にある屋台でやっているのだ、と仕事をしながらおみきは思った。ここへ移って来てから五年とちょっとのあいだに、親子心中が三度もあった。今年の春あんなことがあってから、自分も娘といっしょに死んでしまおうと、幾たび考えたかわからない。あたしたち貧乏人は、どうしてすぐに死にたがるのだろう、生きているより死ぬほうが楽だと思うからだろうか。本当に、生きているよりも死ぬほうが楽なのだろうか、とおみきは思った。
 ――町をあるいていると、みんながあたしの顔を見るの、あれは人殺しの子だって、あそこへゆくのは人殺しの娘だよって、そういう眼つきでじろじろ見るの、あたしにはそれがはっきりわかるのよ。
 表通りでは賑やかに、あんなに元気よく祭囃しをやっている。屋台の上の若者たちの、活気に溢れた顔が見えるようだ。そして、ちょっと裏へはいったここでは、悪い父親を持ったために、死のうと思いつめた娘がいる。珍らしいはなしではない、広い江戸の市中では、同じようなことが幾らも起こっているにちがいない。あたしも三十日ばかりまえなら、ことによるとおうめといっしょに死んだかもしれない。けれどもいまはもう死ぬ気はない、生きていられなくなったらわからないが、いまはもう死ぬのはいやだ、生きられる限り生きて、これまで苦労した分を取り戻すのだ、とおみきは思った。
 ――悪いことをしたのは、あんたでもおっ母さんでもないでしょ、とおみきは娘に云った。自分がしもしないことで、世間の眼なんかに恐れることはないじゃないの。
 ――おっ母さんはあの人たちの眼つきを知らないからよ。
 あたしはあの人の女房ですよ、世間の者がどんな眼で見、どんなふうに耳こすりをするか、知らないとでも思ってるの、女房のあたしを見る眼が、娘のおまえを見るより棘がないとでもいうの、とおみきは思ったが、口には出さなかった。
 ――死のうと思えばいつでも死ねるわ、でもいったい死んでどうなるの、ごらんよ人殺しの女房と娘が、世間に顔向けがならなくなって死んだって、そこらの人たちの笑い話になるだけじゃないの。
 ――それでもあたし、もう生きているのがいやになったのよ、おうめは泣きだしながら云った。これまでだって、人並に生きたような日はいちんちもなかった、あたしもうたくさんよ。
 ――ここを出てゆくのよ、とおみきは仕事を続けながら静かな口ぶりで云った。引越しをするの、知っている者のいない土地なら、いやな思いをすることも…

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