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みかん |
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| 作品ID | 57749 |
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| 著者 | 山本 周五郎 Ⓦ |
| 文字遣い | 新字新仮名 |
| 底本 |
「山本周五郎全集第十九巻 蕭々十三年・水戸梅譜」 新潮社 1983(昭和58)年10月25日 |
| 初出 | 「キング」大日本雄辯會講談社 、1941(昭和16)年8月号 |
| 入力者 | 特定非営利活動法人はるかぜ |
| 校正者 | 北川松生 |
| 公開 / 更新 | 2025-11-03 / 2025-11-03 |
| 長さの目安 | 約 26 ページ(500字/頁で計算) |
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一
「大夫がお呼びなさる?」
源四郎はいぶかしげに問いかえした。
「大高のまちがいではありませんか、たしかに拙者をお呼びなさるのですか」
「いやまちがいではない」
使者はもどかしそうに、
「貴公を呼んでまいれと申しつかって来たのです。ゆだんのならぬご病状だからすぐに支度をしておいで下さい」
「相わかりました、すぐ参上いたします」
源四郎はとびたつように居間へはいった。
――大夫がじぶんを呼ぶ。
そう思うと胸がいっぱいになった。
紀州徳川家の家老、安藤帯刀直次は春から老病がつのるばかりで、この四五日は危篤の状態がつづいていた。直次は慶長十五年に、家康から選ばれてその第十子長福丸、すなわち後の頼宣の家老となった。そのとき頼宣は九歳で駿府城に封ぜられていたが、以来二十六年、よく主君を補佐して紀伊五十五万石の礎をかためた人物である。
直次には多くの逸話があるけれども、いかにすぐれた人物だったかということは、家康がしばしば頼宣にむかって、
――直次をみること父の如くせよ。
といましめたことが最もよく物語っているであろう。なお彼は田辺城三万石を領し、紀伊家の老職でいながら諸侯の待遇をうけていたし、江戸では一ツ橋外と、市谷左内坂とに土地と屋敷をたまわっていた。
源四郎は直次に嫌われていた。
彼は中小姓で、少年の頃から頼宣の側近につかえていたが、主君のため、おいえのため、という一念に凝りかたまっているため、しばしば上役や同輩と争い、たびたび失敗をくりかえして来た。頼宣は彼の気質を知っているので、たいていのことは叱らなかった。
――しようのない一徹者だ。
そう云われるくらいで済んだ。けれども直次にはよくどなりつけられた。
――そのほうはまことの御奉公というものを知らぬ、そのような我儘なことでいちにんまえのお役にたつものではないぞ。
ほかの者にはそれほどでもないのに、源四郎にだけは事ごとに辛辣だった、嫌われているより憎まれているとさえ思えた。それでしぜんと源四郎も直次には反抗の態度をとるようになったが、相手が無双の人物だけに、じぶんひとりが疎まれていると考えることは云いようのないさびしさであった。
直次が老病の床についたのは今年、寛永十二年の春からで、夏五月にはいるとともに再起はおぼつかなくなった、じぶんでもそれを感じたとみえて、毎日病床へ人を呼んでは亡きあとの事を託した。
――きょうは誰それが呼ばれた。
――拙者にこういう遺言があった。
そういう話を耳にするたびに、じぶんだけがのけ者にされているようで、源四郎の気持はすっかりまいっていた。
だから、直次から迎えの使者が来たときはすぐにそうと信じ兼ねたし、たしかにじぶんが呼ばれたと知ったよろこびはひじょうなものだったのである。
源四郎は馬をとばして行った。
安藤家の上屋敷は一ツ橋外の…