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みずぐるま
みずぐるま |
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作品ID | 57750 |
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著者 | 山本 周五郎 Ⓦ |
文字遣い | 新字新仮名 |
底本 |
「山本周五郎全集第二十五巻 三十ふり袖・みずぐるま」 新潮社 1983(昭和58)年1月25日 |
初出 | 「面白倶楽部」大日本雄辯會講談社、1954(昭和29)年5月号 |
入力者 | 特定非営利活動法人はるかぜ |
校正者 | 栗田美恵子 |
公開 / 更新 | 2022-09-17 / 2022-08-29 |
長さの目安 | 約 55 ページ(500字/頁で計算) |
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一
明和五年の春二月。――三河のくに岡崎城下の西のはずれにある光円寺の境内で、「岩本新之丞一座」というのが掛け小屋の興行をした。弘田和次郎は友人の谷口修理にさそわれて、或る日それを見物にいった。弘田家は六百五十石の老職で、家柄は国許の交代次席家老であるが、二年まえに姉の自殺したことが祟って、父の平右衛門は職を辞して隠居し、和次郎は十八歳で家督を継いだが、現在まだ無役のままであった。谷口修理は三百石の中老の子で、和次郎より二歳年長であり、和次郎にとっては母方の従兄に当っていた。
興行の掛け小屋は、丸太で組み蓆と幕で囲ったもので、楽屋と舞台は床があげてあり、客席の半分も桟敷になっているが、大半は立ったまま見物するようになっていた。番組は数種の舞踊と、唄、犬や猿の芸当、手品、曲芸などで、十二人いる座員は男より若い女のほうが多かった。ほぼ満員の客にまじって、座がしら岩本新之丞の槍踊りと、犬と猿の芸当、それに岩本操太夫という娘の手品まで見ると、和次郎は退屈になって「出よう」と云った。
「まあ待てよ、あそこに書いてある美若太夫というのを見せたいんだ」と修理はひきとめて云った、「もう二番くらいだから、もう少し辛抱してくれ」
和次郎は、やむなく承知した。
まもなくその美若太夫の「みずぐるま落花返し」という芸が始まった。太夫は十五六の少女であった、五尺二寸ばかりある躯はよくひき緊って、胸なども娘らしく発達しているが、しもぶくれの、どちらかというとまるっこい顔だちは、まだほんの少女のようにあどけなく、ものに驚いたような大きな眼や、うけくちのおちょぼ口などは、乳の匂いがするような感じであった。――派手な色柄の武者袴に水浅黄の小袖を着、襷、鉢巻をして、赤樫の稽古薙刀を持っている。口上が済むと、舞台の一方に三人の男があらわれ、紅白の毬を取って美若太夫に投げる。太夫は薙刀を巧みに使って、それをみごとに打ち返すのであるが、三人が続けざまに投げるのを、一つも誤たず打ち返す技は、ちょっと水際立ったものであった。
「――外山のこずえ風立ちて、瀬に舞い狂うさくら花、打っては返すみずぐるま……」
口上がそんな囃し言葉を入れると、小屋いっぱいに破れるような拍手と歓声があがった。
「どうだ、――」と修理が云った、「よく似ているだろう」
「うまいね」和次郎が頷いた、「旅芸人の芸じゃない、筋のとおった稽古をしている」
「なんだって」
「筋のとおった腕だ、旅芸人には惜しいよ」
「そうじゃない」修理が云った、「おれが云うのは、深江さんに似ているだろうというんだ」
和次郎は振返って修理を見た。痛む傷にでも触られたような、どきっとした表情であったが、修理は気がつかないようであった。和次郎はすぐに舞台へ眼を戻した、そうして、眉をひそめながら首を振った。
「いや、そうは思わないね」と和次郎は云った、「姉…